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全羅北道 - 南原(ナムォン) 남원 - (Travel Info Korea)
 | Travel Info
แก้ไขล่าสุด : 2017/02/18

สถานที่ท่องเที่ยว : South Korea
 | จำนวนผู้ชม : 343014
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南原(ナムォン:남원)


南原(ナムォン:남원)市は韓国全羅北道(ジョルラプッド:전라북도)の東南部にある市だ。市の東南は智異山(チリサン:지리산)と接する。南原盆地を流れる蓼川(ヨチョン:요천)が市の中心を通って西南部の津江(ソンジンガン:섬진강)に流れる。


三国時代には百済と伽揶の勢力圏だった地域である。新羅統一後には高句麗の流民を南原に移住させ、南原京を設置し、コムンゴなどの高句麗文化が受け伝えられた。朝鮮時代には南原都護府に昇格した。毎年5月初めには、廣寒樓(クヮンハンル:광한루)一帯で成春香(ソン・チュニャン:성춘향)を称えて、伝統文化を受け継ぐ春香祭と全国春香選抜大会が開かれる。(出処 ウィキ百科 - http: //ko.wikipedia.org/wiki/남원시)


廣寒樓苑(クヮンハンルウォン:광한루)

春香(チュニャン:춘향)伝の背景として有名な廣寒樓苑(クヮンハンルウォン:광한루)は私たちの祖先が自然に順応し、自然に近づこうとした考えを表現した場所で、神仙が暮らす理想郷を地上に建設した朝鮮時代の代表的な庭園で、名勝第33号に数えられる。慶會樓(ギョンフェル:경회루)、矗石樓(チョクソンル:촉석루)、浮碧樓(ブビョンル:부벽루)とともに我が国4大樓閣に数えられる素晴らしい造りだ。
南原(ナムォン:남원)は春香の故郷であり、古典春香伝の発祥の地だ。韓民族における、永遠なる「愛の指針書」となっている「春香伝」は、南原の豊かな心と貞節の風習があってこそ可能だったのだろう。このような春香伝の背景として有名な廣寒樓苑は、私たちの祖先が自然に順応し、自然に近づこうとした考えを表現した場所で、神仙が暮らす理想郷を地上に建設した朝鮮時代の代表的な庭園である。
天国の月の宮を廣寒樓と言い、その下の天上の天の川を象徴する湖に烏鵲橋(オジャッキョ:오작교)を架け、神仙が暮らすという伝説の三神山を池の中に造り、全体的な構成が天体宇宙を象徴する。これ以外にも玩月艇(ワノルジョン:완월정)、春香祠堂、春香館、ウォルメチブ(월매집)、ぶらんこ、伝統遊具体験場など長い歴史と共に様々な見どころや体験ができる所だ。



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大韓民国全羅北道南原市蓼川路(デハンミングッジョルラプッドナムォンシヨチョンロ:대한민국 전라북도 남원시 요천로) 1447







国楽の聖地


民族の魂が込められた私たちの大事な伝統芸術「国楽」をさらに発展させ受け継いで行くために、智異山(チリサン:지리산)のふもとの雲峰邑(ウンボンウプ:운봉읍)に造られた所である。東便制(ドンピョンジェ:동편제)を完成させて歌王の異名を取った宋興祿(ソン・フンロク:송흥록)先生の生家や、国楽展示体験館、独工室、野外公演場、国楽人の墓地、祠堂などが配置され、器楽、正楽、名唱の寄贈品遺物などが展示され、パンソリをはじめとする我が国固有の音楽のすべてを知ることができ、体験することができる所だ。


民族の霊山、智異山のふもとの雲峰に位置する国楽の聖地は、我が民族の伝統と魂が込められた国楽の本場であり、聖地であると広く知らせるために、国楽を愛するすべての人の願いを込めて造られた。


南原(ナムォン:남원)はパンソリの五マダンのうち、春香歌とフンブ歌の背景の地となっているほど、昔からの国楽のふるさとであり、今日の東便制パンソリを定形化した、歌王宋興祿が生まれた由緒ある所である。国楽は我が民族の歴史であり、世界が認めた文化遺産で、我が民族の魂が生きづく歴史そのものだ。東便制のソリの発祥の地であり、春香歌、フンブ歌の背景の地として国楽の歴史が保存され、受け継がれて来た国楽の本場としてのアイデンティティを確固たるものとし、パンソリのユネスコ世界文化遺産登録による国楽の保存、伝承発展の基礎を整え、伝統文化の高級化、観光商品化による世界化をはかるために、ここ南原の雲峰に「国楽の聖地」が設立されたのである。
国楽の聖地は国楽先人の墓地、展示体験館、独工室、国楽人参拝施設などがあって、国楽のすべてをここで見て体験できる。各体験プログラムの運営日程がそれぞれ異なるので、市立国樂団や国楽の聖地事務室に連絡をして予約を確認した方が良い。



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全北南原市雲峯邑花水里山(ジョンブクナムォンシウンボンウプファスリサン:전북 남원시 운봉읍 화수리 산)1




南原(ナムォン:남원)航空宇宙天文台


南原(ナムォン:남원)航空宇宙天文台は、2006年科学技術部の地方天文科学館支援事業に選定され、事業費46億ウォン、敷地面積6,532㎡、地上3階規模で、宇宙航空のこれまでの歩みを一堂に集めたショールームと、航空機飛行体験のための航空体験館スペース、10m大のドーム型スクリーンに夜空と全天映像を見られる天体投映室がある。


メイン望遠鏡は星雲、星団、銀河などの天体まで観測可能

南原(ナムォン:남원)航空宇宙天文台は、2006年科学技術部の地方天文科学館支援事業に選定され、事業費46億ウォン、敷地面積6,532㎡、地上3階規模で、宇宙航空のこれまでの歩みを一堂に集めたショールームと、航空機飛行体験のための航空体験館スペース、10m大のドーム型スクリーンに夜空と全天映像を見られる天体投映室がある。

南原の夜空を観測することができる600㎜規模のメイン望遠鏡と、350㎜-125㎜までの多様な口径と多様な方式の望遠鏡を備えた補助観測室がある。

特に、メイン観側室の600㎜規模のメイン望遠鏡は、約15.7等級までの数十万個の星を見られるのみならず、星雲、星団、銀河などの天体まで観測が可能である。
室外には1970年代の韓国空軍の主力機であったファントム機をはじめ、様々な戦闘機が展示されている。


現場体験学習と多彩な科学体験教室を運営


南原宇宙航空天文台はその特性上、博物館や展示館と共に、大人数が自由に見学する方式ではなく、ルームごとに人員を分けて観覧する施設となっている。南原天文台は太陽と天体観測の4D映像観覧、仮想航空体験、天文講演などのプログラムを交替で運営し、1回最大120人を収容することができる。特に南原天文台は夏休みのキャンプや、現場体験学習など盛りだくさんの科学体験教室を運営し、観覧客の誘致とともに地方科学文化を先導する中枢的な科学館としての役割を果たしている。



* 利用時間 : 夏期 10時~22時、冬期 10時~21時



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全北南原市巖洞(ジョンブクナムォンシノアムドン:전북 남원시 노암동) 1-1



南原(ナムォン:남원)ホンブル(혼불)文学館

남원 혼불 문학관


崔明姫(チェ・ミョンヒ:최명희)の大河小説「ホンブル(혼불)」を記念するために造られた文学館である。南原市巳梅面露峯アンギル(ナムォンシサメミョンノボンアンギル:남원시 사매면 노봉안길)にある。ホンブル文学館は展示館とコッシム館の二つがある。どちらも韓屋である。展示館には崔明姫の肉筆の原稿と小説の場面を表したジオラマがある。コッシム館は憩い場のような所である。サラン室とヌマルがある。


大河小説ホンブルの背景になった場所


大河小説「ホンブル」を記念するために造られた文学館である。南原市巳梅面露峯アンギル(ナムォンシサメミョンノボンアンギル:남원시 사매면 노봉안길)にある。「ホンブル」は崔明姫の大河小説の題目だ。全羅道(ジョルラド:전라도)の方言で「人の魂を成す土台、あるいは死ぬ少し前にからだから抜ける清らかで青っぽい光」がホンブルである。崔明姫は南原市巳梅面を背景に、1930年代、梅岸(メアン:매안)李氏の三代宗婦を中心に複雑にからまった百姓の物語を、的確な文体と秀でた文章で解いていく。ホンブルは1990年代の韓国文学最大の成果として数えられる。ホンブルは、しかし未完のまま終わってしまう。崔明姫が持病の卵巣癌で1998年にこの世を去ったためである。

ホンブル文学館は展示館とコッシム館の二つがある。どちらも韓屋である。展示館には崔明姫の肉筆の原稿と小説の場面を表したジオラマがある。コッシム館は憩い場のような所である。サラン室とヌマルがある。



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全北南原市巳梅面書道里(ジョンブクナムォンシサメミョンソドリ:전북 남원시 사매면 서도리) 522




萬人義塚(マニネチョン:만인의 총)


萬人義塚(マニネチョン:만인의 총)は丁酉再亂(ジョンユジェラン:정유재란、文禄・慶長の役)(1597年)の時、南原(ナムォン:남원)城の戦闘で殉死した民間軍1万人以上の義士たちの護国精神が漂う神聖な所である。
朝廷では南原城を死守するために全羅兵馬使(ジョルラビョンマサ:전라병마사)李福男(イ・ボンナム:이복남)将軍率いる千の軍隊と中国・明の副摠兵(ブチョンビョン:부총병)楊元(ヤンウォン:양원)の3千の兵で南原城を守らせた。敵は8月12日、南原に到着し城を幾重にも囲み、13日から16日の夜まで熾烈な戦闘を繰り広げたが、多勢に無勢、一般市民6千人以上を含む1万人以上の義士は血戦奮闘し、みな壮絶な最期を遂げた。
戦争が終わった後、避難場所から帰った市民が戦闘で殉死した義士たちの死体を一つの墓に納めて、1612年(光海(グヮンヘ:광해)4年)に祠堂を建立、全羅兵馬使李福男など7人の忠臣を奉り、1653年(孝宗(ヒョジョン:효종)4年)には忠烈の賜額が下され、1675年(肅宗(スッジョン:숙종)元年)に南原駅の後ろの東忠洞(ドンチュンドン:동충동)に移された後、1897年(高宗(コジョン:고종)8年)に祠堂が撤廃されたため、壇を設置して春と秋に祭祀を行って来た。しかし日帝が壇所まで破壊し、財産を押収して祭祀すら禁止し、そのうえ投獄にまであった。その後、光復を迎えたため祠堂を起こして祭祀を再び行えるようになった。



。[所要時間]

◦ 12.6km 4時間(当日コース)

[コース案内]

◦蛟龍山城(ギョリョンサンソン:교룡산성) → 蛟龍山ドゥルレギル(교룡산둘레길) → 王亭洞(ワンジョンドン:왕정동)サンジョンマウルギル(상정마을길) → 福音山(ポグムサン:복음산) → 萬福寺址(マンブクサジ:만복사지) → 廣峙川辺(グヮンチチョンビョン:상정마을길) → 萬人義塚(マニネチョン:만인의 총)

[詳しいお問い合わせ]

◦ 萬人義塚(マニネチョン:만인의 총) : 063-290-6600



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全北南原市鄕 校洞(ジョンブクナムォンシヒャンギョドン:전북 남원시 향교동) 636




寶節観音寺(ボジョルクヮヌンサ:보절 관음사)


南原市寶節面寶節書堂ギル(ナムォンシボジョルミョンボジョルソダンギル:남원시 보절면 보절서당길) に位置した韓国仏教太古宗所属の寺で、高麗時代後期に創建され、1968年に再建された。現在境内には大雄殿(デウンジョン:대웅전)、地蔵殿(ジジャンジョン:지장전)、観音殿(クヮヌンジョン:관음전)、薬師如来像、山神閣、柱座、寂滅宝寶宮(ジョンミョルボグン:적멸보궁)、仏教経典古書などの建物や遺物がある。
現在の観音寺(クヮヌンサ:관음사)は元々この地域に位置していた普賢寺(ボヒョンサ:보현사)の山の庵として、高麗時代後期に創建され、安佛岩(アンブルアム:안불암)と称したと言う。誰が安佛岩を創建したのか分からないが、日帝時代の前まで仏道の道場としての役割を維持していた。
安佛岩は日帝強制占領期間に寺が閉ざされ、寺の敷地が田畑に使われた。1958年から現在の住職の父親金・グヮンヨン(김관용)が寺の再建を目的に敷地を少しずつ買い入れ始めた。1968年、現在の住職法雲(ボブウン:법운)金丁文(キム・ジョンムン:김정문)が寺の再建を始め、13年間の仏事の末、伝統伽藍の様相を整えた。
1984年、旧 「仏教財産管理法」に基づいて、韓国仏教太古宗観音寺として仏教団体に登録してから、多くの仏教徒を対象に修道と参禅を指導するなど傳法道場の伝統寺院としての機能を果たしてきた。
2001年3月、ミャンマーのウォンドピエールキラー大僧正が法雲に釈迦如来仏舎利、血舎利、十大弟子舎利などを寄贈した。ここに法雲は八角九重石塔を建て釈迦如来仏舎利7果を奉安した。



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全北南原市寶節面書峙里(ジョンブクナムォンシボジョルミョンソチリ:전북 남원시 보절면 서치리) 150



實相寺(シルサンサ:실상사)


智異山(チリサン:지리산)天皇峯(チョナンボン:천왕봉)の向かいにある寺で、新羅興德王(フンドクワン:흥덕왕)3年(828)に洪陟(ホンチョク:홍척)僧侶が建てた。新羅時代末期、仏法より参禅を重視した禅宗の多くの宗派が、全国の名山に寺を建てたが、こうして建てられた九山禅門の中で實相寺(シルサンサ:실상사)が最初の伽藍である。丁酉再亂(ジョンユジェラン:정유재란、文禄・慶長の役)の時に火災に遭い、肅宗(スッジョン:숙종)の時代に建物36棟を再び作ったが、高宗の時代に火事に遭い、現在は小規模に復旧された。庵の薬水庵(ヤクスアム:약수암)と百丈庵(ペクジャンアム:백장암)の文化財を含めて、境内には国宝百丈庵三層石塔、宝物(指定文化財)11点などがあり、単一の寺院としては最も多くの文化財を保有している。


828年、新羅興德王の時代に開いた最初の禅宗伽藍


全羅北道南原市山内面立石ギル(ジョルラプッドナムォンシサンネミョンイプソクギル:전라북도 남원시 산내면 입석길)智異山天皇峯にある寺で、大韓仏教曹渓宗第17教区所属の寺院で本寺金山寺(クンサンサ:금산사)の末寺だ。
中国の唐に留学して西堂知蔵(ソダンジジャン:서당지장)禅師から六祖(ユッジョ:6조)慧能(ヘヌン:혜능)の南宗禅(ナムジョンソン:남종선)を学んで戻った洪陟(ホンチョク:홍척)国師が、興德王と宣康(ソンガン:선강)太子の帰依を受け、現在の智異山南岳(ナマク:남악)に實相寺を創建するようになった。
創建当時實相寺は、知實寺(ジシルサ:지실사)と呼ばれ、以後洪陟国師の教えを受け継いだ秀澈(スチョル:수철)和尙が實相山門の第2代目祖師となった。秀澈和尙は王室の帰依を受けて人々を仏教に改宗させ實相寺を大きく拡張した。


高麗時代に最高の隆盛期

曹渓宗の實相山派として宗名を改称した高麗時代は、實相寺の最大隆盛期であったと推定される。1127年-1130年の間に大々的に再建したという記録が残っている。最近実施された発掘調査でも、創建後約300年経ってから大々的に再建したことが確認されている。
崇儒抑仏政策を広げた朝鮮時代は、世宗(セジョン:세종)在位時に、仏教界の宗派を禪宗と教宗にまとめ、全国に36の寺のみを残した。当時實相寺は、本来實相寺の末寺であった山内面元泉里(サンネミョンウォンチョンリ:산내면 원천리)所在の源水寺(ウォンスサ:원수사)の管轄に属するようになった。高麗時代末期以降、ひんぱんな戦火により衰退し始めた實相寺は、15世紀の中盤に至って完全に寺を閉じることになった。
以後200年間、寺の境域は民間の耕作地として使われて来た。鉄製の仏像と石塔だけが田に放置された状態だったが、1690年(肅宗(スッジョン:숙종)16年)枕虛(チムホ:침허)祖師によって大寂光殿(デジョクグヮンジョン:대적광전)をはじめとする36棟の建物を再建するようになった。
しかし枕虛祖師が再建した大伽藍は1883年と1884年の火事で薬師殿(ヤクサジョン:약사전)、冥府殿(ミョンブジョン:명부전)、極楽殿(グンナクジョン:극락전)など3棟の仏殿と僧堂1棟を残してすべて全焼した。1884年、月松(ウォルソン:월송)大師が大寂光殿が燃えた場所に今の普光殿(ポグヮンジョン:보광전)の建物を新たに再建した。


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全北南原市山内面立石里(ジョンブクナムォンシサンネミョンイプソクリ:전북 남원시 산내면 입석리)50



沈壽官(シム・スグヮン:심수관)陶芸展示館

심수관 도예전시관


丁酉再亂(ジョンユジェラン:정유재란、文禄・慶長の役)当時、日本に連れて行かれた南原(ナムォン:남원)陶工の末裔として、現在の日本の薩摩焼を名実共に世界的な最高水準にまで発展させ今日に至った。1998年南原で陶磁器の「ホンブル(혼불)」を採取し、薩摩に安置する国際イベント「400年ぶりの帰郷」を企画し、故国を訪れた15代沈壽官(シム・スグヮン:심수관)は2011年、12代~15代沈壽官の作品13点を南原市に寄贈した。
沈壽官家の陶芸は、丁酉再亂の時に南原から日本に連れて行かれた沈當吉(シム・ダンギル:심당길)の子孫が15代420年の間、南原から伝えた陶芸技法を代々継承し発展させ、独自的で特有の精巧な技術と燦爛たる色彩感覚で、薩摩焼を名実共に世界的な最高水準に発展させ今日に至った。

沈壽官陶芸展示館は地上1階の韓屋型建物で、107.1㎡の展示スペースに丁酉再亂の陶磁器戦争と南原、薩摩焼の起源、薩摩焼の歴史、12代沈壽官から15代までの沈壽官家の寄贈作品13点の展示コーナーと映像室などを薩摩焼の故郷である南原に展示して、南原市民と日本沈壽官家、そして多くの陶芸家に自負心を鼓吹させる場となっており、これから育つ世代にとっては祖先の崇高な精神を悟らせてくれる生きた教育の場として広く活用されることが期待される。



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南原市ヤンリムギル(ナムォンシヤンリムギル:남원시 양림길) 14-16




智異山(チリサン:지리산)


最高峰である天王峯(チョナンボン:천왕봉)(1,915m)を主峰とする智異山(チリサン:지리산)は、西の端の老姑壇(ノゴダン:노고단)(1,507m)、西の中央の般若峰(バニャボン:반야봉)(1,751m) など3峰を中心に、東西100里あまりの巨大な山岳郡を形成している。智異山には1,500m以上の峰が18あり、1,000m以上の峰は40以上で、大きな山なみだけでも15に達する。その雄大壮厳な地形こそが、韓国で最も広くて大きい山だと言える。新しい住所は全羅北道南原市朱川面鄭嶺峙路(ジョルラプッドナムォンシジュチョンミョンジョンリョンチロ:전라북도 남원시 주천면 정령치로)228だ。



韓国で一番大きくて雄大壮厳な山


全羅南道求禮郡(ジョルラナムドグレグン:전라남도 구례군)と全羅北道南原市(ジョルラプッドナムォンシ:전라북도 남원시)、慶尚南道山清郡(キョンサンナムドサンチョングン:경상남도 산청군)と河東郡(ハドングン:하동군)、咸陽郡(ハミャングン:함양군)にまたがる智異山(チリサン:지리산)国立公園は、1967年、韓国の国立公園第1号に指定され、1,915.4mの天王峯を中心とした周辺地域の国立公園すべての面積は440.4㎢(1億3,000万坪)だ。
最高峰である天王峯(チョナンボン:천왕봉)(1,915m)を主峰とする智異山(チリサン:지리산)は、西の端の老姑壇(ノゴダン:노고단)(1,507m)、西の中央の般若峰(バニャボン:반야봉)(1,751m) など3峰を中心に、東西100里あまりの巨大な山岳郡を形成している。智異山には1,500m以上の峰が18あり、1,000m以上の峰は40以上で、大きな山なみだけでも15に達する。その雄大壮厳な地形こそが、韓国で最も広くて大きい山だと言える。



20以上の美しく特徴ある谷間

頂上に上がると南原を含めた晉州(ジンジュ:진주)と谷城(コクソン:곡성)、求禮、咸陽地域が一望できる。
天王峯から老姑壇に至る主陵線を中心に、それぞれ南北に大きな川が流れている。一つは洛東江(ナクドンガン:낙동강)の支流の南江(ナムガン:남강)の上流として、咸陽、山清を経て流れている。もう一つは遠く馬耳山(マイサン:마이산)と鳳凰山(ボンファンサン:봉황산)から流れて来た蟾津江(ソンジンガン:섬진강)である。これらの川から花開川(ファゲチョン:화개천)、連渓谷川(ヨンゴクチョン:연곡천)、東川(ドンチョン:동천)、鏡湖江(ギョンホガン:경호강)、德川河(ドクチョンガン:덕천강)など10の河川が流れこんで清い水と美しい景色で「智異山12洞川」を成している。
秋の紅葉で有名なピアゴル(피아골)をはじめとして、ペムサコル(뱀사골)、七仙(チルソン:칠선)、韓信(ハンシン:한신)などの4大渓谷以外に、深院(シムウォン:심원)、大成洞(デソンドン:대성동)白武洞(ベンムドン:백무동) など20以上の谷間が特色を誇る。



国宝と宝物がある大寺と数多くの庵


華嚴寺(ファオムサ:화엄사)、雙磎寺(サンゲサ:쌍계사)、鷰谷寺(ヨンゴクサ:연곡사)、大源寺(デウォンサ:대원사)、實相寺(シルサンサ:실상사)などの大寺と多くの庵が残っていて、文化財では華嚴寺の覺皇殿(ガクファンジョン:각황전)前の石燈(国宝12号)8点の国宝と56点の宝物などがある。
800種あまりの植物と400種以上の動物など動植物の像もたくさんある。天然記念物ではツキノワグマ(329号)、かわうそ(330号)、エゾモモンガ(328号)などもある。



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全北南原市山内面浮雲里(ジョンブクナムォンシサンネミョンブウンリ:전북 남원시 산내면 부운리) 252(北部事務所-達宮(ダルグン:달궁)渓谷)



春香(チュニャン:춘향)テーマパーク

춘향 테마파크


春香伝(チュニャンジョン:춘향전)をテーマに造られた観光地で、廣寒樓苑(クヮンハンルウォン:광한루원)の向かいの南原(ナムォン:남원)観光地にあり、林權澤(イム・クォンテク)監督の「春香伝」と2005年のKBSドラマ「クェゴルチュニャン」の撮影地でもある。



愛のテーマがある観光地として造られた場所

南原市(ナムォンシ:남원시)ヤンリムギル(양림길)の南原観光地内にある所(3万5千坪)で、林權澤監督の映画「春香伝」の撮影地など、愛のテーマがある観光地として造られた所だ。「春香伝」の至高至純な愛を現代人の心の中に盛り込み、過去の愛と、これから愛を知っていく人が、愛の思い出を作れるように造られていて、出会いの場、盟約の場、春香伝映画セット場、祭りの場など愛の5つの場所で春香テーマの一代記を再現している。また徹底的な考証を経て完成した東軒、官衙、内衙、ウォルメの家、芙蓉堂、獄鎖丁(牢獄)など、朝鮮時代中期の庶民の生活がうかがえる古い建物が立ち並び、朝鮮時代中期の庶民文化と春香の生涯をしっかり理解できるように造られている。



出会いの場

伝統美と現代的な施設で出迎えてくれる最初の出会いの場には、テーマパークの総合案内と床照明の噴水、春香の庭、総合商品館、伝統文化体験館などがある。



盟約の章


テーマパークを訪問したすべての観光客の健康と愛を盟約する愛の垣根、盟約の場、ブランコなどがある。


愛、離別の場


春香の苦難と純潔な愛の完成を展開した場所で、朝鮮時代中期の東軒を修復し、春香伝の主要場面がミニチュアと実際の大きさで再現され、林權澤監督の春香伝撮影セット場、春香とモンリョンが初夜を過ごした芙蓉堂やウォルメの家、工房、観光客が直接習字書きできるクルパンなどがある。



試練の場


春香の胸が痛んだ離別と獄中生活を再現した獄鎖丁と官衙が復元されている。



祭りの場

祭り行事の場、団体観覧客のための憩いの広場と野外公演場が造られたスペースだ。



* 利用時間 : 夏期 9 ~ 22時 、冬期 9 ~ 21時



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全北南原市漁峴洞(ジョンブクナムォンシオヒョンドン:전북 남원시 어현동) 158-13



郷土博物館
향토박물관


南原(ナムォン:남원)の文化を理解するのに一番良い道案内となる所である。ここには南原地方のすべての文化遺産を網羅して整理してある。2004年5月1日開館したこの博物館は、敷地面積 8,169㎡、建築総面積1,382㎡の地下1階、地上1階建てだ。

南原を旅する人なら一度は行くべき所がこの南原郷土博物館だ。南原市ヤンリムギル(양림길)に位置している。ここには南原地方のすべての文化遺産を網羅して整理してある。2004年5月1日開館したこの博物館は、敷地面積 8,169㎡、建築総面積1,382㎡の地下1階、地上1階建てだ。南原の文化と歴史、そして民俗部分を易しく詳しく説明している展示室と企画展示室、映像室などがある。南原郷土博物館には全部で2,500点以上の遺物が所蔵されている。この博物館は、じっくり見て回るのがお勧めだ。南原の真の姿を理解するためには、じっくり見るのが何より重要だからである。ここを先に見たら、他の旅行先をより理解しやすく、興味がわくことだろう。
郷土博物館の近くには、春香テーマパークと廣寒樓苑(クヮンハンルウォン:광한루원)などの見所がある。



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全北南原市漁峴洞(ジョンブクナムォンシオヒョンドン:전북 남원시 어현동) 37-158



荒山大捷(ファンサンデチョプ:황산대첩)碑址

황산대첩 비지


李成桂(イ・ソンゲ:이성계)が荒山(ファンサン:황산)で倭寇を打ち破った業績を記念して建てられた勝戦碑があった場所で、全羅北道南原市雲峯邑碑殿ギル(ジョルラプッドナムォンシウンボンウプビジョンギル:전라북도 남원시 운봉읍 비전길)にある。高麗時代後期には倭寇が国境と辺境を侵犯し、盗みを働く事がひんぱんにあった。倭寇が智異山(チリサン:지리산)方面を集中的に攻撃して侵入すると、朝廷は三道統使李成桂を送って倭寇を討伐させた。李成桂は義理の弟の李豆蘭(イ・ドゥラン:이두란)と共に1380年(王(ウワン:우왕)6年)に雲峯邑花水里(ウンボンウプファスリ:운봉읍 화수리)の荒山一帯でも盗みを働く倭寇を完全に掃討して全滅させた。この戦いを荒山大捷(ファンサンデチョプ:황산대첩)と言う。



李成桂の倭寇討伐勝戦碑


李成桂が荒山で倭寇を打ち破った業績を記念して立てた勝戦碑である李成桂倭寇討伐勝戦碑があった場所で、全羅北道南原市雲峯邑碑殿ギルに位置している。
高麗時代後期には倭寇が国境と辺境を侵犯し、盗みを働く事がひんぱんにあった。倭寇が智異山(チリサン:지리산)方面を集中的に攻撃して侵入すると、朝廷は三道統使李成桂を送って倭寇を討伐させた。李成桂は義理の弟の李豆蘭(イ・ドゥラン:이두란)と共に1380年(王(ウワン:우왕)6年)に雲峯邑花水里(ウンボンウプファスリ:운봉읍 화수리)の荒山一帯でも盗みを働く倭寇を完全に掃討して全滅させた。この戦いを荒山大捷(ファンサンデチョプ:황산대첩)と言う。
1577年(宣祖(ソンジョ:선조)10年)に荒山大捷を記念して現在の雲峯邑花水里に荒山大捷碑を立てた。
碑文の記録によれば、韓国軍の十倍以上の倭寇を大破し、万世に平和をもたらしたので、この業績を称えて碑石を建てるという内容が刻まれている。



日帝強制占領期の民族の魂抹殺政策で故意に毀損


荒山大捷碑は日帝強制占領期間に日帝がこの地の民族の魂を抹殺するために1945年、朝鮮総督府から道警察部長に秘密文書を送って、日朝間の戦争や自分たちの侵略と関連がある古蹟や遺物を無くすよう命じた。かくして400年の間保存されて来た荒山大捷碑が爆破された。
1957年破損した亀趺(クィブ:귀부)を合わせた比較的完全な形の螭首(イス:이수)は、昔の姿を取り戻したが、すでに破壊された碑石は、黒い大理石で原型同様の碑を作りなおし、大捷碑閣の中に保存した。爆破された碑石は一カ所に集めて碑閣を建てたが、それが破碑閣(パビガク:파비각)だ。
日帝は碑殿を爆破して御諱(オフィ:어휘)を刻んだ内容を鉄釘で毀損したため、そこに刻まれていた文字はまったくわからなくなった。1973年、御諱閣を再建して、文字が刻まれている破損した石を保存した。
日帝によって荒山大捷碑が爆破され、破損された跡が残っていることで、日帝の文化抹殺の政策的蛮行を確認できる歴史的な教訓として価値が高い。



[所要時間]

◦ 12.6km 4時間(当日コース)

[コース案内]

◦ 蛟龍山城(ギョリョンサンソン:교룡산성) → 蛟龍山ドゥルレギル → 王亭洞(ワンジョンドン:왕정동)サンジョン(상정)マウルギル: → 福音山(ポグムサン:복음산) → 萬福寺址(マンボクサジ:만복사지) → 廣峙川辺(クヮンチチョンビョン:광치천변) → 萬人義塚(マニネチョン:만인의 총)

[詳しいお問い合わせ]

◦ 萬人義塚(マニネチョン:만인의 총) : 063-290-6600



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全北南原市雲峯邑花水里(ジョンブクナムォンシウンボンウプファスリ:전북 남원시 운봉읍 화수리) 344-2



コリ(고리)峰

고리봉


南原市金池面(ナムォンシクンジミョン:남원시 금지면)、周生面(ジュセンミョン:주생면)、帯江面(デガンミョン:대강면)に裾野を持つ高さ708.9mの山である。バンチョンマウル(방촌마을)基点の山登りコースが一般的である。秋にはススキ山を楽しむのに良い。
南原市金池面(ナムォンシクンジミョン:남원시 금지면)、周生面(ジュセンミョン:주생면)、帯江面(デガンミョン:대강면)に裾野を持つ高さ708.9mの山である。
コリ(고리)峰は岩山で、山の地形がとても優れている。特に東西両側に岩峰が屏風を広げたように並んでいる。塩の船を縛っていた留金(コリ)が東の絶壁にあったとされることからコリ峰という名前で呼ばれるようになった。今は忘れられた風景だが、100年ほど前までは蓼川(ヨチョン:요천)と蟾津江(ソンジンガン:섬진강)を水路として、南原と河東(ハドン:하동)の間を塩の船が往き来していた。

山登りコースはいくつもある。その中でもバンチョンマウルを基点としたコースが最も一般的だ。バンチョンマウル- 萬壑谷(マナッゴル:만학골) –頂上-アンブコル- 萬壑谷 -バンチョンマウル一周コースが約6kmで3時間かかる。バンチョンマウル-萬壑谷-コリ峰-笠峰(サッカッボン:삿갓봉)-グロッ峠(그럭재)-門德峰(ムンドッボン:문덕봉)-周生面(ジュセンミョン:주생면)龍洞の一周コースは18.5kmで9時間かかる。秋にはコリ峰-萬福臺(マンボッデ:만복대)-鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)を経由してススキ見学がお勧めだ。



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全南求禮郡山洞面坐沙里(ジョンナムグレグンサンドンミョンジョァサリ:전남 구례군 산동면 좌사리)



蛟龍山(ギョリョンサン:교룡산)国民観光地(蛟龍山城(ギョリョンサンソン:교룡산성))



1987年、8億ウォンの事業費をかけて蛟龍山(ギョリョンサン:교룡산)一帯192万㎡の敷地に造られた国民観光地だ。南原市山谷洞(ナムォンシサンゴクドン:남원시 산곡동)に位置する。海抜518mの蛟龍山を中心に公園ができている。蛟龍山城(ギョリョンサンソン:교룡산성)と善國寺(ソングクサ:선국사)、民俗展示場、体育施設、野営施設などがある。
城郭トレッキングに最適

1987年、8億ウォンの事業費をかけて蛟龍山(ギョリョンサン:교룡산)一帯192万㎡の敷地に造られた国民観光地だ。南原市山谷洞(ナムォンシサンゴクドン:남원시 산곡동)に位置する。
海抜518mの蛟龍山を中心に公園ができている。山の稜線には百済時代に築城された蛟龍山城があり、その中に685年(新羅神文王(シンムンワン:신문왕)5年)に創建された善國寺がひっそりとたたずんでいる。公園には散策路、野営施設、体育施設、民俗展示場などがある。朝鮮時代の女流詩人、金三宣堂(キム・サムウィダン:김삼의당)の詩碑も建てられている。
蛟龍山国民観光地は、3kmほど続く蛟龍山城の城郭に沿って歩くのにもってこいの場所だ。



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全北南原市山谷洞(ジョンブクナムォンシサンゴクドン:전북 남원시 산곡동) 251



九龍瀑布(グリョンポッポ:구룡폭포)


九龍瀑布(グリョンポッポ:구룡폭포)は智異山(チリサン:지리산)の西の萬福臺(マンボッデ:만복대)(1,438m)から発源し、南原市朱川面(ナムォンシジュチョンミョン:남원시 주천면)に流れ込む元川川(ウォンチョンチョン:원천천)の中間に形成された九龍渓谷最上流に位置する滝だ。元川川上流にあり、元川瀑布(ウォンチョンポッポ:원천폭포)とも呼ばれる。
九龍瀑布の長さは約30mに至る。しかし、険しい絶壁から落下する直瀑ではなく、比較的ゆるい岩肌をすべるように流れる渓流瀑である。

萬福臺から発源した渓流がここに至って、中からひょっこり飛び出した岩があり、その岩によって二つの滝に分かれるが、その姿がまるで二匹の龍がじゃれあいながら両方の池をおのおのが占領し、水の中にもぐって雲がかかれば再び現われてうねるように見えるため、交龍潭(ギョリョンダム:교룡담)と言われる。ここで九匹の龍が暮らし昇天したという伝説が伝わることから九龍瀑布と呼ばれる。

九龍渓谷は渓谷全体がまるで一つの岩のように繋がっている。この渓谷の中にいくつもの滝と淵と沼が絶景を成す。村の名前の湖景里(ホギョンリ:호경리)も九龍渓谷の美しい景色のおかげで付けられた名前だ。

九龍渓谷の九つの絶景を九龍九曲(グリョングゴク:구룡구곡)、あるいは龍湖九曲(ヨンホグゴク:용호구곡)という。第1曲は松瀝洞(ソンリョクドン:송력동)瀑布、第2曲は玉龍湫(オギョンチュ:옥용추)、第3曲は鶴捿岩(ハクソアム:학서암)、第4曲は瑞岩(ソアム:서암)、第5曲は遊仙臺(ユソンデ:유선대)、第6曲は砥柱台(ジジュデ:지주대)、第7曲は飛瀑洞(ビポッドン:비폭동)、第8曲は敬天壁(ギョンチョンビョク:경천벽)、第9曲は交龍潭(ギョリョンダム:교룡담)だ。



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全北南原市朱川面高基里(ジョンブクナムォンシジュチョンミョンゴギリ:전북 남원시 주천면 고기리)



萬福臺(マンボッデ:만복대)

求禮郡山洞面(グレグンサンドンミョン:구례군 산동면)と南原市(ナムォンシ:남원시)の境界にそびえる萬福臺(マンボッデ:만복대)は、高さが1,433.4mの智異山(チリサン:지리산)西部の峰である。北に鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)、南に性三峙(ソンサムジェ:성삼재)峠がある。萬福臺という名前は智異山の多くの福を占めているという意味で、山全体がなだらかな丘陵になっている。「萬福臺」という名称は、風水の地理説から見ると、智異山10勝地の一つに認められた一等地で、多くの人が福を享受して暮すことができるという意味で萬福臺と称したという説もある。萬福臺は遠くから見ると、坊主山のようだが、ススキで覆われていて、周辺の紅葉とは全く違った秋の色を見せてくれる。



多くの人が福を享受して暮らせる山

求禮郡山洞面(グレグンサンドンミョン:구례군 산동면)と南原市(ナムォンシ:남원시)の境界にそびえる萬福臺(マンボッデ:만복대)は、高さが1,433.4mの智異山(チリサン:지리산)西部の峰である。北に鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)、南に性三峙(ソンサムジェ:성삼재)峠がある。萬福臺という名前は智異山の多くの福を占めているという意味で、山全体がなだらかな丘陵になっている。「萬福臺」という名称は、風水の地理説から見ると、智異山10勝地の一つに認められた一等地で、多くの人が福を享受して暮すことができるという意味で萬福臺と称したという説もある。萬福臺は遠くから見ると、坊主山のようだが、ススキで覆われていて、周辺の紅葉とは全く違った秋の色を見せてくれる。



智異山で最も広いススキの群落地

智異山で最も広いススキの群落地で、秋には峰全体がススキで覆われ壮観を成す。ここから東南方向に眺める般若峰(バニャボン:반야봉)は智異山の勇壮さを実感させてくれる。
頂上からは、老姑壇(ノゴダン:노고단)、般若峰、天王峯(チョナンボン:천왕봉)など、智異山の主な陵線がひと目で見下ろせる展望で、北の鄭嶺峙と南の性三峙峠には道路ができ、二つの峠をつなぐ手軽な登山コースになっている。
鄭嶺峙から出発して萬福臺、コリ峰を経て性三峙におりる登山路は、広々としたススキ野原と草原が広がる尾根道伝いに、コリ峰を経て性三峙へとおりた方が良い。
智異山横断観光道路が通る所にある鄭嶺峙駐車場から萬福臺まで約40~50分くらい必要となる。全コースの距離は7㎞で3時間くらいかかる。



どの季節も皆美しい萬福臺(만복대)


1990年代に山洞面(サンドンミョン:산동면)に智異山温泉ランドができ、温泉と連携した登山地として訪れる人が多い。春、サンシュユの花が咲く時分には、山洞面位安里(ウィアンリ:위안리)の上位、下位などサンシュユ村で黄色いサンシュユの花を鑑賞してから萬福臺に上がってもいい。また秋のススキはもちろんのこと、冬の樹氷も素敵だ。



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全北南原市道通洞(ジョンブクナムォンシドトンドン:전북 남원시 도통동) 618-6



バレ(바래)峰

바래봉

バレ(바래)峰のつつじは1,123mの峰の中で、バレ峰の西の下まで4km以上広がっているが、八郞峙(八郞(パルラン:팔랑)チ:팔랑치)から1.5kmほど行った所が一番密集している。一般的につつじの花を楽しみにくる登山客は、畜産研究所コースを上がって折り返す。

智異山(チリサン:지리산)西部のバレ峰(1,165m)は、1990年代に入って我が国最高のつつじの鑑賞地として浮上した山だ。通常の群落地と違って、牧場草原に咲き始めた赤いつつじの花が美しい風景を演出している。

バレ峰のつつじは、バレ峰のふもとにある畜産技術研究所と深い関係がある。もともとバレ峰一帯は森が非常に鬱蒼としていた。ところが1970年代初め、ここに韓国とオーストラリアの綿羊牧場を試験的に造ったが、食欲旺盛な綿羊が葉に毒性のあるつつじ以外の大部分の葉をまたたく間に食べつくしたおかげで今の状態になった。

当時は出入りが禁止されていたので、一般の人には牧場のつつじの花の美しさが分からなかった。しかし智異山の尾根を縦走し、バレ峰を通った山岳人の口を通じてうわさになり、以後写真作家が素晴らしい作品を発表したことで一般の人の大きな関心を引くようになった。そうして1990年代に入って一般の人の登山が可能になり、バレ峰は韓国最高のつつじ鑑賞の名所となった。

バレ(바래)峰のつつじは1,123mの峰の中で、バレ峰の西の下まで4km以上広がっているが、八郞(パルラン:팔랑)チ(팔랑치)から1.5kmほど行った所が一番密集している。一般的につつじの花を楽しみにくる登山客は、畜産研究所コースを上がって折り返す。

バレ峰のつつじは毎年4月下旬頃、山すそから咲き始めて、頂上付近の尾根は5月20日前後に絶頂を成す。しかし花冷え、異常暖冬など気象状態によって満開時期に一週間以上差が出ることもある。



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全北南原市雲峰面(ジョンブクナムォンシウンボンウプ:전북 남원시 운봉읍)



般若峰(バニャボン:반야봉)


天王峯(チョナンボン:천왕봉)、老姑壇(ノゴダン:노고단)と共に智異山(チリサン:지리산)の3大主峰の一つとして数えられる般若峰(バニャボン:반야봉) (1,732m)は、西部智異山の最高峰で般若峰から眺める夕陽は「智異十景」の一つに数えられる。
天王峯、老姑壇と共に智異山の3大主峰の一つとして数えられる般若峰(1,732m)は、西部智異山の最高峰でもある。
ここには天王峯のマゴハルミ伝説がある。智異山の山神であり女神のマゴハルミは、ある日智異山で仏道の修行をしていた般若に出会って結婚した。歳月が経ち、この夫婦は八人の娘を持った。しかし般若は更なる悟りを得るために、妻と娘を後にして般若峰に入って行った。

マゴハルミは夫般若の帰りを待ちながら、木の皮をむいて夫の服を作った。そして娘を全国八道に送り、一人きりで夫を待ち続け、待ちくたびれて、夫のために作った服をビリビリ裂いてしまうと死んでしまった。この時ビリビリに裂かれた服は風に飛ばされ、般若峰に飛んで行き、風蘭となり、夫を待ち続けたマゴハルミは石像になったと伝えられる。

後世の人は、般若が仏道の修行をした峰を般若峰と呼び、彼の娘は全国八道のムーダンの始祖になったと伝えている。般若峰周辺にしばしば霧と雲が立ち込めるのは、天があの世で般若とマゴハルミが互いに再会できるようにするためだと伝えている。渓谷からわき立つ上昇気流が雲に変わって広がる般若峰の雲海は、水墨画のように美しい。

また般若峰から眺める落日は「智異十景」の一つに数えられる。西の空を赤く染めながら沈んでいく赤い太陽は、心にしみついた垢をきれいに洗い流し、過ぎし過去をふり返らせる力がある。



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全北南原市山内面浮雲里(ジョンブクナムォンシサンネミョンブウンリ:전북 남원시 산내면 부운리)



뱀사골


智異山(チリサン:지리산)の般若峰(バニャボン:반야봉)から半仙(バンソン:반선)までの山の北斜面を下る長さ14kmの渓谷で、智異山国立公園の多くの谷間の中で最も美しい渓谷の一つに数えられている。全区間、奇巌絶壁で覆われたこの渓谷には、100人が一度に座ることができる広くて平らな岩があちこちにあって、100個以上の大小様々な瀧や沼が並ぶ。



智異山で一番渓谷美がすぐれた谷間

智異山(チリサン:지리산)の般若峰(バニャボン:반야봉)から半仙(バンソン:반선)までの山の北斜面を下る長さ14kmの渓谷で、智異山国立公園の多くの谷間の中で最も美しい渓谷の一つに数えられている。全区間、奇巌絶壁で覆われたこの渓谷には、100人が一度に座ることができる広くて平らな岩があちこちにあって、100個以上の大小様々な瀧や沼が並ぶ。



蛇のように大きく曲流している渓谷


春にはつつじが渓谷を埋めつくし、秋には色とりどりの紅葉が渓谷を覆い、夏には深い緑の渓谷の中で真夏の暑さを凍りつかせる冷気が漂う。
般若峰とうさぎ峰(토끼봉)から南原市山内面(ナムォンシサンネミョン:남원시 산내면)に伸びて下った谷間の秋の紅葉は、美しいピアコル渓谷(피아골)の紅葉と優劣をつけがたい。渓谷はいつ訪れても水量が豊富で、樹木が生い茂り、代表的な夏の避暑地としても有名である。

秋にここを訪れれば、真っ赤に染まった紅葉と岩盤の上を流れる渓流、そしてその下にできた淵や沼があたり一帯を壮観に織りなし、人の足を捕らえる。仙人臺(ソニンデ:선인대)、石室(ソクシル:석실)、搖龍臺(ヨリョンデ:요룡대)、 濯龍沼(タギョンソ:탁용소)、甁沼(ビョンソ:병소)屛風沼(ビョンプンソ:병풍소)再承臺(ジェスンデ:제승대)、醤油沼(カンジャンソ:간장소)などの名勝地が随所にある。

智異山ペムサコル渓谷は秘境を誇る観光スポットとして多くの観光客が訪れ、夏には足を浸すところがないくらいたくさんの人が押し寄せる。ペムサコル探訪案内所と智異山国立公園北部案内所で案内を受ければ、探訪案内所観覧と共に、様々なプログラムも楽しむことができ、自然生態観察路で散策や山登りも楽しむことができる。



[3コース案内]

◦ 智異山(チリサン:지리산)神仙(シンソン:신선)トゥルレギル短いコースの区間

獐項里(ジャンハンリ:장항리)-元川(ウォンチョン:원천)マウル(1.5㎞)-八郞(パルラン:팔랑)マウル(4.3㎞)-八郞峙(パルランチ:팔랑치)(2㎞)-バレ峰(1.7㎞)

◦ 智異山(チリサン:지리산)神仙(シンソン:신선)トゥルレギル長いコースの区間

獐項里-元川マウル(1.5㎞)-八郞マウル(4.3㎞)-内靈(ネリョン:내령)マウル(2㎞)-半仙(バンソン:반선)マウル(3㎞)

鶴川(ハクチョン:학천)マウル(1.2㎞)-德洞(ドッドン:덕동)マウル(2㎞)-達宮(タルグン:달궁)マウル(1.8㎞)


[注意事項]

◦ マウンテンバイクは智異山を守るために利用できません。

◦ 各マウルの農作物、木の実は個人所有なので採取できせん。

◦ 各マウルでの写真撮影は村の住民の許可が必要です。


[詳しいお問い合わせ]

◦ 総合観光案内センター : 063-632-1330

◦ 南原市文化観光課 : 063-620-6165



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全北南原市山内面(ジョンブクナムォンシサンネミョン:전북 남원시 산내면)



深源(シムォン:심원)渓谷

심원계곡


全羅北道南原市智異山路(ジョルラプッドナムォンシチリサンロ:전라북도 남원시 지리산로)(深源里(シムォンリ:심원리)にある渓谷で、七仙(チルソン:칠선)渓谷、文殊(ムンス:문수)渓谷とともに智異山3大渓谷の一つで、智異山の般若峰(バニャボン:반야봉)(1,732m)と老姑壇(ノゴダン:노고단)(1,507m)の間にある。般若峰、ナルラリ峰(날라리봉)(1,432m)、老姑壇、鍾石臺(ジョンソクデ:종석대)(1,356m)などで発源した水が一カ所に集まって渓谷となり、50個の淵や沼を成す。特に周辺の森は樹種保護区域とソウル大学の研究林地区に指定されているだけあって、韓国自生植物の宝庫である。



自生植物の宝物倉庫


全羅北道南原市智異山路(ジョルラプッドナムォンシチリサンロ:전라북도 남원시 지리산로)(深源里(シムォンリ:심원리)にある渓谷で、七仙(チルソン:칠선)渓谷、文殊(ムンス:문수)渓谷とともに智異山3大渓谷の一つで、智異山の般若峰(バニャボン:반야봉)(1,732m)と老姑壇(ノゴダン:노고단)(1,507m)の間にある。

般若峰、ナルラリ峰(날라리봉)(1,432m)、老姑壇、鍾石臺(ジョンソクデ:종석대)(1,356m)などで発源した水が一カ所に集まって渓谷となり、50個の淵や沼を成す。特に周辺の森は樹種保護区域とソウル大学の研究林地区に指定されているだけあって、韓国自生植物の宝庫である。

骨利水(ゴロスェ:고로쇠)薬水(ヤクス:약수)でも有名で、空を覆うほどの生い茂った森と、冷たい渓谷の水のおかげで、真夏の夜でも寒さを感じるほどひんやりしている。近くには、空の下の最初の町と呼ばれる深源(シムォン)マウルがある。



多くの淵と沼が織りなす絶景


渓谷登山をするなら、馬韓(マハン:마한)の離宮址がある達宮(タルグン:달궁)渓谷と連携して上がったらいいだろう。

達宮から渓谷を上がっていくと、錚盤沼(チェンバンソ:쟁반소)と、雨が降れば数千匹のひき蛙が集まって泣いたというひき蛙沼(두꺼비소)など、名前も分からない多くの沼や淵が渓谷を訪れる人々を魅了する。

チェンギ沼から500mほど上がると、般若峰(バニャボン:반야봉)の北西の尾根裾と萬福臺(マンボッデ:만복대)の間に全羅南道(ジョルラナンド:전라남도)と全羅北道(ジョルラプッド:전라북도)の境目があるが、その下が達宮渓谷で、上の方が深源渓谷になる。

達宮から渓谷沿いに道路が通ったので、深源マウルまで容易に行けるようになり、性三峙(ソンサムジェ:성삼재)からなら30分で老姑壇に上がれるので、今は渓谷沿いの登山をしない登山客が増えている。

達宮から渓谷沿いに道路が通ったので、深源マウルまで容易に行けるようになり、性三峙(ソンサムジェ:성삼재)からなら30分で老姑壇に上がれるので、今は渓谷沿いの登山をしない登山客が増えている。

南原から深源マウルまで市外バスと緩行バスが通っている。乗用車で行くには、全州(ジョンジュ:전주)から国道17号線沿いに任實(イムシル:임실)、南原まで行って、730号線の地方道路に入った後、南原大橋を渡って六芽亭(ユンモジョン:육모정)、ホポッキョ(호폭교)を経て12㎞ほど行って鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)を越えれば、道界(全羅北道と全羅南道の境界)三叉路が現われるので、そこを右折して2㎞ほど行った左側の脇道を1㎞ほど行くと深源マウルに出る。



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全北南原市山内面浮雲里(ジョンブクナムォンシサンネミョンブウンリ:전북 남원시 산내면 부운리)



フンブコル(흥부골)自然休養林

흥부골 자연휴양림

フンブコル(흥부골)自然休養林は南原市引月面(ナムォンシイノルミョン:남원시 인월면)から2㎞地点にあり、健康、娯楽、休息のために指定、造成された山林である。自然生態の地形を最大限に活用した休養林で、いまだにあまり知られておらず静かな所だ。山裾に樹齢約55年のチョウセンゴヨウの群落があって森林浴をするのによく、景観もすぐれている。德頭山(ドッドゥサン:덕두산)の頂上から尾根づたいに約30分ほど登ると、つつじで有名なバレ峰(바래봉)(1,167m)に行ける。



チョウセンゴヨウの群落で森林浴、素晴らしい景観

フンブコル(흥부골)自然休養林は南原市引月面(ナムォンシイノルミョン:남원시 인월면)から2㎞地点にあり、健康、娯楽、休息のために指定、造成された山林である。
智異山国立公園と連携された所で、德頭山(1,150m)の頂上までつながる登山路が通じているので、休養林から德頭山の頂上までは約1時間30分くらいだ。
山裾に樹齢約55年のチョウセンゴヨウの群落があって森林浴をするのによく、景観もすぐれている。德頭山(ドッドゥサン:덕두산)の頂上から尾根づたいに約30分ほど登ると、つつじで有名なバレ峰(바래봉)(1,167m)に行ける。
自然生態の地形を活用した休養林のフンブコル自然休養林は、自然生態の地形を最大限活用した休養森で、いまだにあまり知られておらず静かな所だ。

森林浴ができる登山路、郷土民俗ノリマダン、「フンブ伝」 関連テーマ施設、その他に団体修練所2棟、林の中の家7棟、バンガロー3棟、フンブの家1棟、炊事場、トイレ、共同シャワールーム、管理所など合わせて17棟の建物と衛生及び教育施設として、給水所、汚物処理場、教育資料館、森の中の教室などが揃っている。



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全北南原市引月面引月里山(ジョンブクナムォンシイノルミョンイノルリサン:전북 남원시 인월면 인월리 산)53-1



南原観光団地

남원관광단지

南原(ナムォン:남원)と言えば思い浮かぶすべての象徴物とレジャーセンターのそろった総合観光団地である。南原市漁峴洞(オヒョンドン:어현동)一帯にある。韓国観光公社が造った南原観光団地には、春香伝に関わる春香テーマパーク、春香文化芸術会館を含め、国立民俗国楽院、南原郷土博物館などの文化施設がある。南原観光団地の近くには、廣寒樓(クヮンハンル:광한루)、禪院寺(ソノォンサ:선원사)、蛟龍山城(ギョリョンサンソン:교룡산성)、ホンブル(혼불)文学館、百丈庵(ペッジャンアム:백장암)などの名所が多い。



南原を代表する総合観光団地


南原(ナムォン:남원)と言えば思い浮かぶすべての象徴物とレジャーセンターのそろった総合観光団地である。南原市漁峴洞(オヒョンドン:어현동)一帯にある。

韓国観光公社が造った南原観光団地には、春香伝に関わる春香テーマパーク、春香文化芸術会館を含め、国立民俗国楽院、南原郷土博物館などの文化施設がある。特に春香伝のストーリーにしたがって5つの場で構成された春香テーマパークは、老若男女誰もが好みそうな所である。林權澤(イム・クォンテク)監督の映画「春香伝」のセット場もここにある。丹心亭(ダンシムジョン:단심정)からは南原観光団地だけでなく、町並み全体が眺望できる。南原観光団地には宿泊業者や飲食店が充実している。

南原観光団地の近くには、廣寒樓(クヮンハンル:광한루)、禪院寺(ソノォンサ:선원사)、蛟龍山城(ギョリョンサンソン:교룡산성)、ホンブル(혼불)文学館、百丈庵(ペッジャンアム:백장암)などの名所が多い。



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全北南原市漁峴洞(ジョンブクナムォンシオヒョンドン:전북 남원시 어현동)



開嶺庵址(ゲリョンアムジ:개령암지)磨崖佛像群(マエブルサングン:마애불상군)


南原市山内面(ナムォンシサンネミョン:남원시 산내면)鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)の智異山(チリサン:지리산)開嶺庵(ゲリョンアム:개령암)のあった裏の絶壁に刻まれた磨崖佛像群(マエブルサングン:마애불상군)である。全部で12体の磨崖佛が巨大な絶壁に刻まれている。巨大仏を含めた3体の保存状態が良好で、銘文まで刻まれているという点が磨崖佛研究の重要な資料になっている。開嶺庵磨崖佛像群は宝物(指定文化財)第1123号に指定されている。

南原市山内面(ナムォンシサンネミョン:남원시 산내면)鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)の智異山(チリサン:지리산)開嶺庵(ゲリョンアム:개령암)のあった裏の絶壁に刻まれた磨崖佛像群(マエブルサングン:마애불상군)である。全部で12体の磨崖佛が巨大な絶壁に刻まれている。
12体の磨崖佛の中には、おおよそ4mの大きさにいたるものもある。突出彫りになった顔がかなり大きく表現されているという点と、体つきが大きく、服や手などの細かい部分の表現がおおざっぱな点などが、高麗時代の磨崖佛の特性そのものを示している。巨大仏を含めた3体の保存状態が良好で、銘文まで刻まれているという点が磨崖佛研究の重要な資料になっている。

開嶺庵磨崖佛像群は宝物(指定文化財)第1123号に指定されている。



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全北南原市山内面德洞里(ジョンブクナムォンシサンネミョンドッドンリ: 전북 남원시 산내면 덕동리)



百丈庵(ペッジャンアム:백장암)三層石塔

백장암 삼층석탑


全体が花こう岩で作られたこの石塔は、現在の百丈庵(ペッジャンアム:백장암)の南側の下の耕作地に残っていて、石塔のすぐ後ろに立っている石燈と共に、そこが本来の位置として考えられ、その北に法堂址と推定される建物のあった場所が明らかな点からして、本来は百丈庵がここにあったと推定されている。


統一新羅時代の百丈庵があった所


實相寺(シルサンサ:실상사)は智異山(チリサン:지리산)天王峯(チョナンボン:천왕봉)の西側にある寺で、統一新羅時代の興德王(フンドクワン:흥덕왕)3年(828)に洪陟(ホン・チョク:홍척)が創建した。ここから北にしばらく行くと百丈庵が現われるが、實相寺の素朴な庵として、その下の耕作地にこの塔が建てられている。
統一新羅時代の石塔で、高さ5m、国宝第10号に指定されている。全体が花こう岩で作られたこの石塔は、現在の百丈庵(ペッジャンアム:백장암)の南側の下の耕作地に残っていて、石塔のすぐ後ろに立っている石燈と共に、そこが本来の位置として考えられ、その北に法堂址と推定される建物のあった場所が明らかな点からして、本来は百丈庵がここにあったと推定されている。
低い基壇の上に3重の塔身をあげ、4面には欄干を繊細に彫り上げてある。一般的な塔は上に上がるほど幅と高さが狭くなるのに比べて、この塔は幅がほとんど一定で、2段目と3段目は高さも同じくらいだ。層を成さずに厚ぼったい一段で表現された屋根石の支えも当時の手法から逸脱したものだ。
1段目は南面に四天王像が彫られており、他の3面には菩薩像、天王像、童子像などが彫られている。


豊かな芸術性と独創的な想像力で作られた石塔


2段目と3段目は下に欄干を飾って、その上に木造建築の枓栱形を真似て彫ってあるが、2段目には各面ごとに2体ずつ音楽を演奏する天人像が刻まれており、3段目には各面に1体ずつの天人座像が浮き彫りにされている。
相輪部分は破損された箇所もあるが、四角い露盤の上に覆鉢、宝輪、宝蓋、水煙などの部材が刹柱に刺さった形になっている。
一般的な形式にとらわれず、豊かな芸術性と独創的、想像力をこめて作られた石塔である。まるで木を扱うように、石を纎細に彫刻したものが、時代を越えた美しさを感じさせる。また、塔全体に彫刻がほどこされ、基壇はもちろん塔身から屋根部分に至るまで、様々な彫刻が表現されている。

統一新羅時代後期に建てられと推測されるこの塔は、いろいろな模様の彫刻で豪華に飾られているなど、形式にこだわらない自由な構造が目を引き、当時を代表する美しい石塔の一つだと言える。



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全北南原市山内面大井里(ジョンブクナムォンシサンネミョンデジョンリ:전북 남원시 산내면 대정리)



龍南(ヨンナム:용남)市場

용남시장


施設改良事業を通じて駐車難を解消することで、いっそう便利に利用できるようになった。工業製品、産業製品、農産品、衣類、水産品などを扱う。市内圏域から南原公設市場は近い。在来市場の最大の欠点の一つであった駐車難を解消することで、いっそう便利に買い物することができるようになった所だ。
在来市場の最大の欠点の一つであった駐車難を解消することで、いっそう便利に買い物することができるようになった所だ。
大型マートが便利なことは事実である。品数も多く、駐車も便利だ。しかし楽しさはない。在来市場こそ買い物する楽しみがわく所である。市場では、交渉は焚きつけ、喧嘩は止めろと言う。交渉する醍醐味で在来市場に行く。在来市場へ行くと、人のにおいがする。龍南(ヨンナム:용남)市場は1970年にオープンした常設市場だ。20年ほど前までは、南原で指折り数えられる市場だったが、大型マートに押されて商圏が崩れ、今日に至っている。
2007年、施設改良事業を通じて駐車難を解消することで、いっそう便利に利用できるようになった。工業製品、産業製品、農産品、衣類、水産品などを扱う。市内圏域から南原公設市場は近い。

春香テーマパーク、廣寒樓苑(クヮンハンルウォン:광한루원)などの南原の名所が龍南市場から近くにある。



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全北南原市下井洞(ジョンブクナムォンシハジョンドン:전북 남원시 하정동) 138



鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)


鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)は高さ1,172mで全羅北道南原市朱川面(ジョルラプッドナムォンシジュチョンミョン:전북 남원시 주천면)と山内面(サンネミョン:산내면)にまたがる智異山(チリサン:지리산)国立公園の峠だ。峠の頂上の鄭嶺峙レストハウスは、智異山を一望できる展望台だ。東にはバレ峰(바래봉)とペムサコル(뱀사골)渓谷が、西には天王峯(チョナンボン:천왕봉)、細石坪田(セソクピョンジョン:세석평전)、般若峰(バニャボン:반야봉)などと南原の町並みが一面に広がる。智異山の主陵線の百里を一望できる。

鄭氏の姓を持った将軍の伝説のある鄭嶺峙(ジョンリョンチ:정령치)は高さ1,172mで全羅北道南原市朱川面(ジョルラプッドナムォンシジュチョンミョン:전북 남원시 주천면)と山内面(サンネミョン:산내면)にまたがる智異山(チリサン:지리산)国立公園の峠だ。

鄭嶺峙は西山大師(ソサンデサ:서산대사)休静(ヒュジョン:휴정)(1520~1604)の「黄嶺庵記(ファンリョンアムキ:황령암기)」によれば、馬韓(マハン:마한)の王が辰韓(ジナン:진한)と弁韓(ビョナン:변한)の侵略を阻むために鄭氏の性を持った将軍に城を築いて守らせたことに由来した名前だと言う。
智異山の主陵線が一望できる峠の頂上の鄭嶺峙レストハウスは、智異山を一望できる展望台だ。東にはバレ峰(바래봉)とペムサコル(뱀사골)渓谷が、西には天王峯(チョナンボン:천왕봉)、細石坪田(セソクピョンジョン:세석평전)、般若峰(バニャボン:반야봉)などと南原の町並みが一面に広がる。智異山の主陵線の百里を一望できる。
鄭嶺峙から山のぼりを始めて北西の尾根伝いに、コリ(고리)峰-世傑山(セゴルサン:세걸산)-浮雲峙(ブウンジ:부운치)-八郞峙(パルランチ:팔랑치)-バレ峰がつながっていて、南側の尾根伝いには萬福臺(マンボッデ:만복대)-墓峰峙(ミョボンチ:묘봉치)-コリ峰-性三峙(ソンサムジェ:성삼재)がある。鄭嶺峙(海抜1,172m)は智異山から車で越えられる一番高い峠道である。朱川面(ジュチョンミョン:주천면)役場を出発して内基里(ネギリ:내기리)を経て鄭嶺峙までのぼる12kmのコースは、秋の智異山を満喫できる最高のドライブコースだ。

ハンググライダーの最適地である達宮址付近には、12体の仏像が刻まれた磨崖如来佛像群がある。鄭嶺峙の北のコリ峰はハンググライダーの最適地として知られており、多くのハンググライダーパイロットが訪れる場所だ。

智異山の滑空レポーツ機器造成事業は、レポーツ人口の急増と全国滑空同好会の人数増加で開発の期待が高まっており、鄭嶺峙を国際滑空場に開発し、観光資源化することを目標として進められている。



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全北南原市朱川面高基里(ジョンブクナムォンシジュチョンミョンゴギリ:전북 남원시 주천면 고기리)



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