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校村村(キョウチョンマウル)교촌
慶州で有名な町をあげるなら、断然、‘良洞村(ヤンドンマウル)'と'校村村(キョウチョンマウル)'であるといえます。
今度の旅行ではその中で鶏林(ケリム)ともっと近い'校村村'を訪問してみました。 校村村は慶州市内の南側の鶏林と月城(ウォルソン)の左側に位置しているため、交通が便利な方です。
まず、村の入り口に入ると、村全体の案内図が見えます。 複雑な構造ではないですが、もし確認しないと落として行きやすいところが何箇所かあるので、一度見てから行った方が役に立ちます。
週末と特別な日、ここ村の広場では民俗公演や各種行事を行なっています。
また、観光客らが投壷と鉄の輪、チェギチャギ(ケリの遊び)、板跳び、ユンノリができるように遊び物品を提供しています。 もちろん無料です。
久しぶりに私も板を一度跳んでみましたが、増えた体重のせいかあの彫刻品のようにジャンプができなかったです。 1~2回飛んで見てそのまま諦め。
小学校の頃、本当にたくさんしてたくい打ち遊び 。見れば見るほど表情に生動感がとてもよく表しています。 あの彫刻像の表情のようにあの時私たちの表情もあのようであったとくみ取ると、記憶が次々と思い出します。
校村村での民俗体験には昔の祖先が使っていたお金の銭形を模した校村村専用ヨプジョン(昔の銭の一つ)を使用し、その種類は千両,5千両、万両の三つがあります。
村の広場の内側にある'ペクサン商会'で交換できますが、私たちが行った時は、体験プログラムがないのか時間帯が合わないのかペクサン商会が閉めていて、惜しくもヨプジョンの形は確認できませんでした。
村の内側に入ると、両方の伝統家屋の間に低い石垣ができています。 このような伝統家屋には実際に人が住んだり、飲食店や体験場として使われたりします。
村の所々に設けられた体験場は、国楽、天然染色、キルト、茶道礼儀、ガラス工房、土器工房などが運営されています。
漢字で‘加比(ガビ)'と書かれたカフェ。韓国の伝統家屋でコーヒーを売ると思ったら、少しぎこちない気分ですが、周辺が全部韓屋だったのでそれなりに似合ってるようにも見えます。
やっぱりここもまだオープン前で直接利用することはできず、メニューを見ると3,500~6,000ウォンの間で一般的なカフェと同じくらいの価格で販売しています。
また、校村村では、慶州の校洞法酒(キョンドンボプジュ)との校洞みそを生産する所を観覧することができ、購入も可能です。
校村を代表する特産品の生産地であるので、一つ一つの建物も古い韓屋になっていて、何だか気持ちだけでも本当に伝統のある職人が作るような気がします。
ここ校村村は村そのものも有名な地理的位置ですが、それよりもある一家のためにもっと有名になった村であると言えます。
王を除いて最大限に持てる大きさである99間の校村村の核心家屋を持った'慶州の崔富者 チェブジャ(チェという名字を持ったお金持ち)'一家がその主人公です。
もちろん崔富者が持った富だけでなく、他の姿のためにもっと有名になった慶州崔富者 一家は12代、400年間、富と9代にわたって進士を排出する名誉を続けてきながらも、村の住民たちのために進士以上の官職を禁じて、 万石以上の財産を貯めなく、四方100里内で飢え死にする人がないようにするなど、韓国的資本主義の模範になったといいます。
日帝時代には' 白山商會 (ペクサン)商会'を設立して、独立軍の軍資金を用意するなど、韓国のノブレス・オブリージュを実現したこのような崔富者の精神を伝承するため、校村村では'チェブジャアカデミー'を運営しており、多くの公職者と事業体が講演に参加するそうです。
校村村の石垣道の端にはとても広い敷地に複数の建物で構成された慶州郷校が形成されています。 元々この場所は新羅時代(神文王)の国立大学とも言える国学があった場所であったと伝えられています。
本来の目的とは少し違うが、現代の時代に合わせての前庭では伝統婚礼の場として使い、‘卿校ステイ’も進行するほど、今も活発に利用されています。
慶州郷校の南側の道端には校村村だけのための小さな博物館とも言える'校村広報館'が位置しています。
広報館では崔富者 一家の家計図と功績そして遺品を展示しており、管理をされる方は専門の管理者ではなく現地の住民の方で、私たちが到着した時、鎌を持って外で仕事をしていながらも、観光客が入ってくると笑いながら"映像資料をつけてあげましょうか"と親切に案内してくれます。
広報館内部の片方の壁には伝統婚礼や儒学の授業中の儒学者たちの姿を人形で表現しておきました。
出口には広報館で見た内容をもとにするOXクイズでテストをするところがあり、10個余りの問題を解いて通過した人には認証書を発給してくれます。 ところで"ええっ~3回連続不合格!!!"。
村の東南側の端は新羅時代の元暁大師が、瑤石公主を得るために渡った橋である月淨橋(ウォルジョンギョ)があった場所です。 鉄筋もなかった時代にもっぱら木で約70メーターを数十〜数百トンに近い瓦を耐えるように橋を作ったというのはとてもミステリーなことであります。
現在、月淨橋を復元する工事を進行中であり、足だけ完了し、橋の両方の先端には関門のような大きな建物が完成されれば、今年(2014年)内に開放する予定です。
住所:慶尚北道 慶州市 校村道 39-11(キョンサンブくド・キョンジュシ・キョチョンギル39-11 경상북도 경주시 교촌길 39-11)
電話番号:054-742-2524
慶州司馬所 & 財買井(ジェメチョン)경주사마소&재매정
韓屋村から出て西側の端の道路を渡ると、とても古くなったような建物が一つ見えます。 朝鮮時代の生員と進士たちが儒学を討論して教えていた'慶州司馬昭'。
司馬所からもう少し下の方に進むと、大平原に小さな碑閣が一つ立っています。
ここが三国統一の主人公である金庾信(キム・ユシン)将軍の屋敷跡と推定するところで、今は金庾信の家の井戸である財買井(深さ4.7m)と礎だけが雑然と広がっていました。
財買井の財買(ジェメ)は金庾信の夫人の名前であります。
三国史記で、金庾信が百済との戦争で勝利した後、家に戻ることができなくてすぐ他の戦場に行くことになり、部下に命じて家の井戸の水を杓ってきて飲みながら"うちの水の味は昔のままなんだ"と言いながら戦場に向かったと記録されています。
ここ財買井と司馬所の周辺は寂しい野原の近くにあり、まだ周辺の発掘作業が完全ではないため大きな見どころはないですが、有名な金庾信将軍の屋敷跡ですからすべての発掘が完了されて、また次回に寄る頃は立派な見物場所として発展していると思います。
少なくとも今まではまだ校村村の略図に示されていない少しは不足な観光地であるので、散歩して簡単に見回ることをおすすめします。
住所:慶尚北道 慶州市 校洞 89-7(キョンサンブくド・キョンジュシ・ギョドン89-7 경상북도 경주시 교동 89-7)
ギョリ-キンパップ(韓国ののり巻き)교리김밥
有名な観光地には有名なおいしい店があるのは当たり前。 ここ校村村の周辺にもかなり有名でおいしい店が一つあります。 それは、全国3代ののり巻きの一つだというギョリキンパップ。
のり巻きに調味料を使わない40年伝統のグルメであるギョリ-キンパップ本店は、慶州郷校からあまり遠くない所に位置しており、古びた外見とは違って人たちがいつもにぎわっています。
たくさん放送された店で、メニューはおにぎりとそば、たった2つですが、お昼の時間には数十メートル余りの列を並んでこそやっと味を味わうことができるほどです。
店の内部にはテーブルがいくつかありますが、そばを食べない限りほとんどがお持ち帰りのお客です。 それほど人も多くて席を取ることも大変な方です。
キンパップは基本的に2列ずつ販売して、一般的なキンパップよりはちょっと高めですが、校村に来たのでギョリ-キンパップを食べてみて行くのが礼儀。キンパップ二2をテイクアウトして出ました。
村の周辺にあるベンチに座ってキンパップを開けてみると、形は普通のり巻きの模様のようで、内容物はありふれたホウレンソウも見えずただ分厚くて黄色い内容物がたくさん入っています。
思ったよりシンプルですが、キンパップの中に黄色の金糸卵を細く切ってたっぷり入れていて、キンパップにふさわしい表現なのかは分かりませんが、しょっぱくなくてやわらかい味が感じられます。
こうしてのり巻きの味を吟味していた時、隣にいたキム小学生がギョリキンパップを口にいっぱい入れて真剣に話します。
“慶州は鶏が特産物なんだね。 鶏林の‘鶏’も鶏でしょう、金閼智も卵から生まれたでしょう、 ギョリ-キンパップも卵がすごく入ってるから~”
‘うん~反...反論できない。この子なんかちょっよ説得力あるかも...?'
“校村チキンもここのものかな?” (校村チキン:韓国の有名なチキンフランチャイザー)
‘え~!!!'
そういうふうにずっと考えていた間にすぐギョリ-キンパップを二列全部食べてしまいました。 完全に遠足に来た感じ~!!
住所:慶尚北道 慶州市 校洞 69(キョンサンブくド・キョンジュシ・ギョドン69 경상북도 경주시 교동 69)
電話番号:054-772-5130
運営時間:06:30 ~20:00