珍島(チンド:진도)
珍島郡(チンドグン:진도군)は韓半島の最西南端に位置し、気候が温暖で多島海の美しい秘境と肥沃な沃土と清浄海域を持つ貴重な島です。韓国で3番目に大きい島で、昔から民族円舞(カンガンスルレ:강강술래)、南道農歌(ナンドドゥルノレ:남도들노래)など民俗民謡が原形のままよく伝承保存されていて、数多くの芸術家を輩出した伝統文化や芸術の盛んな地方です。現代版モーセの奇跡として知られている、毎年100万人以上が訪れる神秘の海割れ(シンビエバダッキル:신비의 바닷길)をはじめ南宗文人画(ナムジョンムインファ:남종문인화)を産んだ雲林山房(ウンリンサンバン:운림산방)、中央気象台から最も美しい夕日に選ばれた細方落照(セバンナクチョ:세방낙조)など、多くの観光資源を保有しています。
神秘の海割れ(シンビエバダッキル:신비의
바닷길)
世界的に広く知られている珍島(チンド:진도)の神秘の海割れ(シンビエバダッキル:신비의 바닷길)は、古郡面(コグンミョン:고군면)回洞里(フェドンリ:회동리)と義新面(ウシンミョン:의신면)茅島(モド:모도)の間、約2.8kmの海が潮の干満の差により、海底が40m程の幅で水面に現われ海に道ができるという神秘的な現象です。お祭りの期間中、国内外の観光客を迎え珍島固有の民謡、民俗公演などを披露し、様々なイベントを開催しています。
位置
– 珍島郡(チンドグン:
진도군)
古郡面(コグンミョン:고군면)神秘エバダッキル(신비의바닷길)74
雲林山房(ウンリンサンバン:운림산방)
南道文人画の始まり、秋史(チュサ:추사)金正喜(キムジョンヒ:김정희)と草衣禅師(チョイソンサ:초의선사)を師として仕え、海南尹氏(ヘナムユンシ:해남 윤씨)の一族の尹斗緖(ユンドゥソ:윤두서)の画集を見て絵画の勉強をしていた小痴(ソチ:소치)許錬(ホリョン:허련)が37年間暮らしていたところです。息子、米山(ミサン:미산)許灐(ホヒョン:허형)が雲林山房(ウンリンサンバン:운림산방)で絵を描き、孫である南農(ナムノン:남농)許楗(ホゴン:허건)を経てひ孫の許ムン(ホムン:허문)が代を引き継ぎました。毅斎(ウイジェ:의재)許白錬(ホベクリョン:허백련)も雲林山房で絵の勉強をしました。
雲林山房に入ってみると一番最初に迎えてくれる大きな二本の木は、早くも旅行者の心を奪ってしまいます。また、蓮の葉と、その下で戯れる鯉を見ながら池を回って入っていくと、木にさえぎられていた雲林山房の姿が少しずつ現れてきます。
位置 - 珍島郡(チンドグン: 진도군)
義新面(ウシンミョン:의신면)
雲林山房路(ウンリンサンバンロ:운림산방로)315
珍島大橋(チンドデキョ:진도대교)
珍島郡(チンドグン:진도군)郡内面(グンネミョン:군내면)鹿津(ノクジン:녹진)と海南郡(ヘナムグン:해남군)門内面(ムンネミョン:문내면)鶴洞(ハクトン:학동)の間に架けられた長さ484m、幅11.7mの斜張橋で、1984年10月18日に竣工し、観光名所として脚光を浴びています。珍島大橋(チンドデキョ:진도대교)は丁酉再乱(ジョンユジェラン:정유재란(慶長の乱))のとき忠武公李舜臣(イスンシン:이순신)将軍が13隻の船で倭船133隻を打ち負かした鳴梁大捷(ミョンナンデチョプ:명량대첩)の地、海峡に架けられた韓国最初の斜張橋で、2005年12月に第2珍島大橋が完成しました。
細方落照(セバンナクチョ:세방낙조)
中央気象台が韓半島最南端、一番の夕日の眺望地に選定した所で、夕焼けが最も長く留まり全国で最も遅い時間まで日没を見ることができるところです。
夕暮れ時、島と島の間に吸い込まれていく夕日は壮観で、周囲の青い空は紅葉より赤く輝きます。
細方落照(セバンナクチョ:세방낙조)への海岸道路は多島海の美しい島を一目で見ることができる最高の多島海のドライブコースとして挙げられています。
位置
- 珍島郡(チンドグン:진도군)智山面(チサンミョン:
지산면)
細方落照路(セバンナクチョロ:세방낙조로) 148
南桃鎭城(ナムドジンソン:남도진성)
史跡第127号に三別抄(サンビョルチョ:삼별초)軍を率いた裴仲孫(ベジュンソン:배중손)将軍が龍藏城(ヨンジャンソン:용장성)に拠点を置いた後、最後の対蒙激戦を繰り広げた城で、三別抄が済州島に移る時、ここから出発したと伝えられています。ここのサン橋(サンギョ:쌍교)とホン橋(ホンギョ:홍교)は城の外郭を行き来するための築造で、片麻岩の自然石材を使用したものは全国的にまれで、学界で大きな関心を集めています。
位置 - 珍島郡(チンドグン:진도군)臨淮面(イムフェミョン:임회면)南道キル(ナムドキル: 남도길)5-6
龍藏城 (ヨンジャンソン:용장성)
高麗(コリョ:고려)元宗(ウォンジョン:원종)11年(1270)年、高麗がモンゴルと屈辱的な講和を結び、開京(ケギョン:개경)遷都を押し切るとこれを不服として、対蒙抗争の決意を誓った三別抄(サンビョルチョ:삼별초)軍が元宗の6親等、承化侯(スンファフ:승화후)温(オン:온)を王に推戴して江華島(カンファド:강화도)から南下し対蒙抗争の根拠地とした所で、周囲が約13kmに達し、山城の中に石垣が壮大な階段形状の行宮跡が残っています。
位置
- 珍島郡(チンドグン:진도군)郡内面(グンネミョン:군내면)龍藏山城キル(ヨンジャンサンソンギル:용장산성길)92
観梅8景(クァンメパルギョン:
관매8경)
珍島(チンド:진도)本島の西南の端、彭木港(ペンモクハン:팽목항)から船に乗って西南海上の東北に(彭木港から24kmの距離)向かうとふわっと浮かんでいる、海上に多島海海上国立公園(タドヘヘサンクンニプコンウォン:다도해해상국립공원)に指定告示された鳥島6群島(チョドユックンド:조도6군도)のなかの代表的な絶景の集散地である観梅島(クァンメド:관매도)(面積4.3平方キロメートル)があります。
観梅島には天然記念物212号に指定されたホオノ木があって、一年中やって来る太公望の釣り場としても有名で、特産品では天然の岩わかめ、イワシ、ワタリガニ、メバル、スズキ、タイなど新鮮な天然活魚がたくさん生産されます。
1景は観梅ビーチで3kmに及ぶきれいな砂浜と清浄海域の澄んだ水が家族連れの避暑客を魅了します。ビーチの周囲には10万平方メートルに達する松林が一幅の絵のように広がっています。
2景は観梅島の東北のバンア島(バンアソム:방아섬)。天女が降りてきて臼を挽いたという伝説が伝えられ、頂上は男の象徴のように高くそびえ男根岩(ナムグンバウィ:남근바위)とも言います。
3景は観湖村(グァンホマウル:관호마을)の峠の天の豪傑(ハヌルジャンサ:하늘장사)の伝説が伝えられる石墓とコンドル(꽁돌)。4景は観梅島の西北にあるハルミジュンドゥレンイグル(할미중드랭이굴)で、5景である空橋(ハヌルタリ:하늘다리)は岩島の真ん中を包丁で切ったように真っ直ぐ切られていて周りの奇岩絶壁が神秘的です。
6景はソドゥルバグル滝(ソドゥルバグルポッポ:서들바굴폭포)でバンア島の天女がここに降りてきて入浴しご飯を炊いて食べたという伝説が伝わり、満ち潮の時は海水の上に滝の水が落ち、引き潮の時は砂利の上に落ちて彩石江(チェソッカン: 채석강)の景色を堪能できる海の滝です。
空橋をすぎて大蛇岩(クロンイバウィ:구렁이 바위)がある7景。こちらは1ヶ月に4~5回、海水が引いた時に入いることが出来、ひじき、岩わかめ、岩海苔など豊富な海産物を採取することができます。最後の観梅8景は雷岩(ピョラクバウィ:벼락바위)で済州に追放された青年と彼が愛する娘との悲劇的な愛の伝説が伝えられる所で、島全体が切り立った絶壁になっています。
国立南道国楽院(クンリプナムドクガクウォン:국립남도국악원)
珍島(チンド:진도)にはパンソリ、シナウィ、散調(サンジョ:산조)のように広く知られた音楽文化の他に珍道アリラン、民族円舞(カンガンスルレ:강강술래)、南道農歌(ナンドドゥルノレ:남도들노래)、珍島シッキムグッ(진도씻김굿)、珍島太鼓踊(チンドブクチュム:진도북춤)、珍島ダシレギ(진도다시래기)など多くの伝統芸術資源が伝承されていて、四方が広い多島海に面した恵まれた美しい景観を誇ります。
国立南道国楽院(クンリプナムドクガクウォン:국립남도국악원)はこのような環境を土台に、国楽専門研修、公演、体験、研究など、国楽普及活動と国楽を通じた健全な余暇文化をリードして、最も韓国的な国民情緒の涵養、文化疎外地域の住民に国楽文化を体系的に普及することにより、伝統文化を享受する機会の提供、国楽活性化による地方文化芸術観光資源化の基礎作りを目標に運営されています。
国立南道国楽院は1400年余りの国家音楽機関の伝統をもとに歴史的な南道文化芸術を継承、発展させることができる南道地域の伝統音楽芸術のメッカとして燦然たる国楽芸術を継承して、21世紀をリードするパフォーマンスアートとして国楽が位置付けられる未来のために最善の努力をしています。
位置
- 珍島郡(チンドグン:진도군)
臨淮面(イムフェミョン:임회면)珍道大路(チンドデロ:진도대로)3818
珍道犬(チンドケ:진돗개)
大韓民国を代表する珍島犬(天然記念物第54号、世界名犬第334号)は、品性に優れ、行動が機敏で、聴覚と嗅覚が発達し家をよく守り主人への忠誠心の強い世界的な名犬である。
引用文献:南島旅行(全南道庁発行)