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全罗南道 - 康津郡 강진 - (Travel Info Korea)
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最後修改 : 2017/02/18

旅行地区 : South Korea
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康津(カンジン:강진)


全羅南道(ジョルラナンド:전라남도)の西の端からタンクッ(地の果て、땅끝)に向かう町角に位置する清さのふるさと康津(カンジン:강진)。高麗青磁の陶窯地があって康津ならではの美しい風景があり、奇岩怪石の調和の取れた石門山(ソンムンサン:석문산)と萬徳山(マンドクサン:만덕산)が長く続く。その山裾に朝鮮時代後期の実学者丁若鏞(ジョン・ヤギョン:정약용)の流刑の地、茶山草堂(ダサンチョダン:다산초당)と椿の森の白蓮寺(ベンニョンサ:백련사)がある。「牡丹が咲くまでは」の詩人、金永郎(キム・ヨンラン:김영랑)の故郷でもある康津は、静かで穏かでこぢんまりとした所である。



高麗青磁

高麗青磁は青磁をリードした中国ですらその美しさをほめたたえ、天下の屈指の名品と言われた。

特に康津(カンジン:강진)高麗青磁は独特の技法と華麗な模様で高麗時代500年あまりの間、高麗青磁の全盛を極めた発祥の地にふさわしく、現在200あまりの窯の焼き跡が散在しており、我が国の国宝及び宝物級青磁の80%が、ここ康津で生産されたものである。



青磁博物館

高麗青磁の体系的な保存と研究のため、1997年9月青磁博物館を開館した。この博物館は国内唯一の青磁博物館で、高麗青磁の収集、展示、研究、教育などを通じて青磁文化の継承発展を推進している。特に既存博物館とは異なる展示方法や遺跡地周辺に建てられた歴史性から、現在推進中の公立博物館の模範となっている。

また博物館周辺に高麗青磁を再現する作業場があり、我が国の青磁の過去と現在を見ることができる。



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位置 - 康津郡大口面青瓷村ギル(カンジングンデグミョンチョンジャチョンギル:강진군 대구면 청자촌길) 33



茶山草堂(ダサンチョダン:다산초당)

茶山(ダサン:다산)丁若鏞(ジョン・ヤギョン:정약용)先生がカトリックに染まった罪人という罪状で康津(カンジン:강진)に流刑となり、18年の流刑生活のうち10年を過ごした場所である。流刑生活の間、牧民心書(モンミンシンソ:목민심서)、経世遺表(ギョンセユピョ:경세유표)、欽欽新書(フムンシンソ:흠흠신서)など500冊あまりに達する朝鮮時代後期の実学を集大成した場所だ。

茶山草堂(ダサンチョダン:다산초당)には茶山先生が丁石という字を直接刻んだ丁石岩(ジョンソクバウィ:정석바위)、お茶をいれた天然水の薬泉(ヤクチョン:약천)、お茶を沸かした盤石の茶竈(ダチョ:다조)、池の中に小さな山のように積んた蓮池石假山(ヨンジソッカサン:연지석가산)など、茶山先生が憂いをなぐさめた場所に建てられた天一閣(チョニルガク:천일각)という東屋がある。



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位置 - 康津郡道巖面茶山草堂ギル(カンジングンドアンミョンダサンチョダンギル:강진군 도암면 다산초당길) 68-35



茶山(ダサン:다산)遺物展示館


茶山草堂(ダサンチョダン:다산초당)の南800mの地点にある茶山遺物展示館は、茶山丁若鏞(ジョン・ヤギョン:정약용)先生の茶山年譜、家系図、学統、茶山の業績及び遺物などを展示しており、茶山先生について理解するのに非常に役立っている。



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位置 - 康津郡道巖面茶山修練院ギル(カンジングンドアンミョンダサンスリョンウォンギル:강진군 도암면 다산수련원길) 33


永郎(ヨンナン:영랑)金允植(キム・ユンシク:김윤식)先生の生家

永郎(ヨンナン:영랑)生家は、1948年に永郎がソウルに移住した後、数回に渡って転売されたのち、1985年に康津郡(カンジングン:강진군)が買い取って管理している。アンチェ(안채、母屋)は一部変形してしまったものを1992年に原型どおり補修し、ムンガンチェ(문간채、門のわきの建物)は撤去されたものを永郎の家族の考証を得て1993年に修復した。

生家には詩の素材となった泉、椿、味曽がめ置き場、柿の木などが残っていて、牡丹がたくさん植えられている。「北の素月、南の永郎」と言う言葉のとおり、情緒豊かな南道なまりで現代敍情詩の新しい世界を開いた永郎金允植(キム・ユンシク:김윤식)先生の生家を原型のまま保存し管理しており、永郎の詩の精神が息づいている。



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位置 - 康津郡康津邑永郎生家ギル(カンジングンカンジンウプヨンナンセンガギル:강진군 강진읍 영랑생가길) 15



無為寺(ムウィサ:무위사)

「無為寺事蹟(ムウィササジョク:무위사사적)」によれば、無為寺(ムウィサ:무위사)は元曉(ウォンヒョ:원효)によって創建され、道詵國師(ドソンククサ:도선국사)によって建て直されたと伝えられる。無為寺の歴史は先覺大師(ソンガクデサ:선각대사)迥微(ヒョンミ:형미, 864~917)が建て直した10世紀初めから本格的に始まったと言える。

無為寺は高麗時代の初めには禅宗の寺として有名であったが、朝鮮時代に至っては水陸社(スリュクサ:수륙사)として有名であった。死んだ魂をなぐさめる水陸祭(スリュクジェ:수륙제)を行った寺だったほどに、中心建造物は極楽世界をつかさどる阿弥陀如来を祀る極楽宝殿である。



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位置 - 康津郡城田面無為寺路(カンジングンソンジョンミョンムウィサロ:강진군 성전면 무위사로) 308



白蓮寺(ベンニョンサ:백련사)

白蓮寺(ベンニョンサ:백련사)の本来の名称は萬德山(マンドクサン:만덕산)白蓮寺で、朝鮮時代後期には萬德寺(マンドクサ:만덕사)と呼ばれていたが、現在は白蓮寺と呼んでいる。高麗時代後期に八国師(パルグクサ:8국사)を排出し、朝鮮時代後期には八大師がいた道場であり、高宗(コジョン:고종)19年(1232年)に圓妙國師(ウォンミョグクサ:원묘국사)了世(ヨセ:요세)がここで普賢道場(ボヒョンドリャン:보현도량)を開設し、白蓮決死(ベンニョンキョルサ:백련결사)を起こした由緒ある寺だ。大雄殿は朝鮮時代後期に建立されたと推定され、正面三間、側面三間の八作屋根形式の二重軒で多包式建物である。

白蓮寺周囲の傾斜地5.2ヘクタールに7,000本あまりの椿が群落を成して自生している。木の高さは7mほどとなって、幹の下から枝が分かれて鑑賞用樹木となったものが多く、周囲にはカヤ、コウボク、王竹、お茶の木などが自生している。

またここ白蓮寺の椿の花びらを取って緑茶、小麦、きび、もち米、麦などの粉を利用してジョン(전)を作り、せん茶とともにおやつやお客様の接待用として使ったという椿ファジョン(동백화전)はその歴史が数百年にのぼると伝えられる。



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位置 - 康津郡道巖面白蓮寺ギル(カンジングドアンミョンベンニョンサギル:강진군 도암면 백련사길) 145



四宜齋(サウィジェ:사의재)

丁若鏞(ジョン・ヤギョン:정약용)先生が1810年11月23日に康津(カンジン:강진)に流刑となり、4年間寄居した場所で、茶山(ダサン:다산)はここに「四つ(考え、容姿、言葉、動作)を正しくする者が住む家」という意味で四宜齋(サウィジェ:사의재)という堂号を掲げて学問に精進し、「經世遺表(ギョンセユポ:경세유표)」、「哀絶陽(エジョルヤン:애절양)」などの著書を残した。康津郡は長年の考証を経て2007年の初夏、東門の内側の井戸周辺の居酒屋の跡地を原型どおり修復した。現在、東門賣飯家(ドンムンメバンガ:동문매반가)という名前で現代版居酒屋が運営されている。



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位置 - 康津郡康津邑四宜齋ギル(カンジングンカンジンウプサウィジェギル:강진군 강진읍 사의재길) 27



南彌勒寺(ナンミルクサ:남미륵사)

世界仏教彌勒大宗(セゲブルギョミルクデジョン:세계 불교미륵대종)の総本山である南彌勒寺(ナンミルクサ:남미륵사)は、1980年にボップンスニム(법흥스님)が創建した。以後ボップンスニムが30年あまりの間、新しい建物を増築し、花や木で寺の内外を飾り、現在の雄大壮厳で美しい景観を持つようになった。現在南彌勒寺には東洋最大規模の黄銅阿彌陀仏(ファンドンアミダブル:황동 아미타불)像があり、一柱門(イルジュムン:일주문)から境内に至る道には500体の羅漢像が置かれている。

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位置 - 康津郡郡東面豊洞1ギル(カンジングングンドンミョンプンドンイルギル:강진군 군동면 풍동1길) 24-13



全羅兵営城址(ジョルラビョンヨンソンジ:전라병영성지)

全羅兵営城址(ジョルラビョンヨンソンジ:전라병영성지)は、朝鮮時代の太宗(テジョン:태종)17年に 兵馬都節制使(ビョンマドジョルジェサ:병마도절제사)馬天牧(マ・チョンモク:마천목)将軍が築造した。高宗(コジョン:고종)32年の甲午更張(カブオギョンジャン:갑오경장)まで、全羅南北道(ジョルラナンブクド:전라남북도)と済州島(チョジュド:제주도)を含む53州6陣を統轄し、陸軍の総司令部としての役割を務めた。1894年東学農民戦争(ドンハクノンミンジョンジェン:동학농민전쟁)で焼かれ、その直後甲午更張の新制度によって廃営となったものが、1992年3月9日、全羅南道記念物第140号に指定され保護、管理されるようになった。1997年国家史蹟第397号に指定された。



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位置 - 康津郡兵営面兵営城路(カンジングンビョンヨンミョンビョンヨンソンロ:강진군 병영면 병영성로) 175



全羅兵営城(ジョルラビョンヨンソン:전라병영성)ハメル記念館(하멜기념관)

ハメル記念館(하멜기념관)は我が国を世界に初めて詳細に知らしめた「ハメル報告書」の著者ヘンドリック・ハメルの生涯と業績を称えて、康津(カンジン:강진)とオランダのホルクムとの活発な文化的交流のために開館された。

楕円形の木造建築で建てられた展示館は、ハメルが1653年朝鮮に漂着した南道(ナンド:남도)の島を象徴しており、展示室には「ハメル報告書」を含むハメルの生涯、17世紀のオランダの社会文化像と朝鮮中期の時代的状況、そして康津郡とオランダホルクムの文化的交流など、それぞれのタイトルに分かれて鑑賞することができるようになっている。ハメルの朝鮮漂着の歴史的意味と17世紀の国際交流の調査研究、遺物展示を通じた教育、ひいては韓国、オランダ間の文化的交流増大のための地域の専門機関としての役割を自任している。



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位置 - 康津郡兵営面兵営城路(カンジングンビョンヨンミョンビョンヨンソンロ:강진군 병영면 병영성로) 180



馬良港(マリャンハン:마량항)

朝鮮時代初期の太宗(テジョン:태종)朝1417年、馬頭鎭(マドゥジン:마두진)が設置され、萬戶(マノ:만호)節制都尉(チョルジェドウィ:절제도위)が管轄し、壬辰の乱と文禄・慶長の役を経験した当時、亀甲船一隻が常時待機していた戦略的要所であった。由緒ある萬戸城跡が残っており、烏島(カマクソン:까막섬)が水墨画のように浮かんでいて、古今島(ゴクンド:고금도)と薬山島(ヤクサンド:약산도)が頼もしく波風から守っている馬良(マリャン:마량)湾は、第1種漁港として天の恵みの美港の一つに数えられている。昼間より夜が美しいここで、毎週土曜日ごとに美しい港と観光客が一つになる音楽会が開かれている。



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位置 - 康津郡馬良面馬良里(カンジングンマリャンミョンマリャンリ:강진군 마량면 마량리 )



資料出処 : 南道(ナンド:남도)旅行 (全南(ジョンナム:전남)道庁発行)


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