栄州市(ヨンジュシ 영주시)は、慶尚北道(キョンサンプクド 경상북도 )の北部にある市です。東に慶尚北道の奉化郡(ポファグン 봉화군 )、西には醴泉郡(イェチョングン 예천군 )、南には安東市(アンドンシ 안동시 )、北には馬駆嶺(マグリョン 마구령)を境に江原道(カンウォンド 강원도 )寧越郡(ヨンウォルグン 영월군 )、竹嶺(ジュクリョン 죽령)と古峙嶺(コチリョン고치령)を境に忠清北道(チュンチョンプクド 충청북도 )丹陽郡(タンヤングン 단양군)と隣接しています。豊基(プンギ 풍기)高麗人参と紹修書院(ソスソウォン 소수서원 )、浮石寺(ブソクサ 부석사 )、小白山(ソベクサン 소백산)国立公園が有名です。(出所 ウィキ百科-http://ko.wikipedia.org/wiki/영주시)
선儒生(ソンビ 선비)のふるさと 栄州
特産物には、昔から開城(ケソン 개성)、錦山(クムサン 금산)などとともに最高の高麗人参として脚光を浴びている豊基高麗人参と、優れた味と香りが自慢の栄州りんご、栄州韓国牛、簞山ブドウ、豊基人絹などがあります。
もっとも美しい寺 浮石寺(ブソクサ 부석사 )
浮石寺は新羅文武王(ムンムワン 문무왕 )16年(676年)に、海東・華厳宗の宗祖の義湘大師が王命によって創建しました。新羅の国運が上昇するように祈願し、仏力により唐の侵略を防ぐために建てた護国伽藍と言われていますが、結局、韓国の華厳思想の発祥地となった所です。
孫振策(ソンジンチェク 손진책 )/演出家
1947年生/栄州出身
劇団ミチュ代表
1987年 芸術評論家の制定87年最優秀芸術家選定
1988年 ソウル五輪文化芸術祝典 漢江(ハンガン)フェスティバル総監督
2002年 第13回イフェラン演劇賞
2002年 FIFA韓日ワールドカップ 開幕式など多数演出
-筆者 孫振策-
幾重にも波うつ小白山の麓に位置して、歳月の重みがあり真っ直ぐに立っている寺、まさにそれが浮石寺です。
山の中のゆったりとした盆地に建っている寺とは違って、山の斜面の丘に構えているため、生硬な質感の服のように窮屈な感じを与えますが、境内の隅々に端正で優雅な美しさを秘めています。あでやかに色ついた春や鬱蒼とした木々の影が濃くなっている夏、原色の紅葉で息の詰まるような秋と肌寒い雪国の冬、どの季節もよいが浮石寺が一番良い時は一日を締めくくる夕方頃です。
夕暮れの浮石寺を背にして立って、太陽が向かい側の山に消えていくのを見ながらなんとも言えない刹那を感じてみてください。
ゴンゴンゴンと後ろから低く響く鐘の音が浮石寺境内に響きます。やがて鐘の音は鳳凰山のふもとから、夢のように広がった小白山連峰を超えて遥かむこうまで響きます。日没の瞬間の暖かさが、平和な両館の浮石寺境内を包み込みます。俗世界を救う仏の悲愛に全く敬虔になる瞬間です。
浮石寺は、新羅の文武王16年(676年)に、海東・華厳宗の宗祖の義湘大師が王命で創建しました。新羅の国運上昇を祈願し、仏力により唐の侵略を防ぐため建てた護国伽藍と言われていますが、結局、韓国の華厳思想の発祥地となりました。
国家的念願を込めて建設された寺だけに、創建にまつわる説話も哀切で壮烈です。唐に留学していた義湘大師が新羅に帰る時、彼を慕っていた善妙という女性が別れの悲しみに耐えられず、海に飛び込んで自殺しました。 この女性の霊はその後、泥棒のために浮石寺を創建するのに困難を経験した義湘大師を助けることにまります。善妙の霊は泥棒たちの前で大きな石を空中に持ち上げて泥棒たちは逃げていき、無事にここに浮石寺を創建することができました。 この逸話によって寺の名も'浮石'という意味の浮石寺になりました。
浮石寺の入口のイチョウの道は韓国なかでも特に美しいです。特に風の音を聞くとイチョウの葉がよりいっそう鮮やかになったことを感じることができます。イチョウの道の終わりにある天王門を通り、端正につくられた梵鐘閣(ボプチョンガク 범종각)も通りながら浮石寺にまつわる義湘大師の説話を思いだします。
梵鐘閣の下を過ぎて安養楼の下の狭い石段を登ると、初めてその有名な無量寿殿(ムリャンスジョン무량수전)をみることができます。安東にある鳳停寺極楽殿(ポンジョンサグクラクジョン 봉정사극락전)とともに国内最古の木造建物で知られる無量寿殿は国宝第18号で、韓国の八角屋根の起源とされており、柱心包がベフルリム柱で有名です。無量寿殿は文字どおりわが国の古建築術の白眉といっても過言ではないでしょう。
無量寿殿には韓国で最も古く、規模が大きな塑造仏像の塑造如来坐像を祀っています。
無量寿殿の前には国宝第17号に指定された素朴だが気品を漂わせて新羅代表の石灯籠があります。 その左側に浮石という文字が書かれた岩が長く横になっています。創建にまつわる説話に登場する中国の女性善妙が空に持ち上げた石です。
浮石寺での見どころはここだけではありません。現存する木造建物の壁画の中で最も古いと言われる祖師堂壁画、北枝里の石造如来坐像、三層石塔(サムチュンソクタプ 삼층석탑 )、善妙閣(ソンミョガク 선묘각 )、幢竿支柱(タンガンジジュ 당간지주 )など浮石寺には多くの宝物が存在します。
浮石寺をただ一周したからといって全部見たと言えるでしょうか。寺が大切にしている国宝級遺物もゆっくりと見て浮石寺を成している柱一つ一つをきめ細かく見てみるのもいいでしょう。
そしてこれを抜きにしては浮石寺の白眉とは言えません。それは寺から見渡せる小白山山麓の風景で長い間耽美したほうがいいと誰かがはなしていました。心にしみる美しい浮石寺よ。
住所:慶尚北道栄州市浮石面北枝里(キョンサンプクドヨンジュウシブソクミョンブクチリ 경상북도 영주시 부석면 북지리 )148
電話番号:054-633-3464
-子どもと一緒に出掛ける歴史ツアー-
紹修書院(ソスソウォン 소수서원)
慶尚北道栄州市順興面内竹里の鬱蒼とした森の中に位置している韓国初の賜額書院です。賜額書院は王が扁額を下さいました。国家公認の書院で「すでに崩壊した教学を、みがく」という意味の「紹修」で学問復興の意志をうかがうことができます。
1542年(中宗37年)に豊基郡守で、赴任した周世鵬(ジュセブン 주세붕)が翌年、この地の出身の儒学者の安珦を配享(学徳のある人の位牌を祭る)するため、墓地を設立したが、1543年に儒生教育を兼備した白雲洞書院(ベクウンドンソウォン 백운동서원)を設立したのがこの書院の始まりです。以降、退溪李滉(テゲイファン 퇴계 이황 )先生が豊基郡守に赴任し、明宗(ミョンジョン명종)が紹修書院と直筆で書いた扁額を受け、紹修書院になりました。
'紹修書院'の編額をかかげた後、原則によって院長と教授が寄居していた直方斎(ジクバンジェ 직방재)と日新斎(イルシンジェ 일신재 )が西側に、儒生が寄居していた学求斎(ハククジェ 학구재 )と至楽斎(ジラクジェ 지락재 )が東側に置かれました。直方斎の西側の蔵書閣(ジャンソガク 장서각 )には3,000冊余りの蔵書があったと伝えられています。
順興面(スンフンミョン순흥면)を浮石寺に行く道に紹修書院を見るために少しだけ立ち寄る所と考えていてはおおきな間違いです。朝鮮初期にはこの一帯の中心地だった所がまさに順興です。高麗忠烈王の胎を埋葬したとして'都護府'に指定されたほどなので、今で言えば、広域市くらいの所だったわけです。
住所:慶尚北道栄州市順興面内竹里(キョンサンプクドヨンジュウシスンフンミョンネチュクリ 경상북도 영주시 순흥면 내죽리 )151-2
電話番号:054-639-5852
-2012年韓国観光の星-
太白山、小白山など高山峻嶺がある慶尚北道栄州は儒生の故郷です。朝鮮に性理学を紹介した儒学者安珦が栄州の順興出身であり、韓国初の私立高校など教育機関である白雲洞書院が建てられた所もまさに栄州です。
栄州儒生村はこの地方の光である儒教文化の伝統と精神を継承し、当時の生活をのぞくことができるように作った体験空間です。由緒深い古宅12軒を石の一つ一つまでいちいち数えて、原型どおりに再現した地域文化財である海愚堂 (ヘウダン 해우당 )。斗岩古宅などの瓦屋と儒生が住んでいた藁葺き家、村の東屋、水車などを昔の姿と同じように実感あふれるように造ってあります。
当時、儒生たちが学問に清進していた学堂と韓紙作り、投壷、拓本、伝統婚礼など民俗体験庭もあり、子どもたちと一緒に寄って見る場所としては最適です。
住所:慶尚北道栄州市順興面靑邱里(キョンサンプクドヨンジュウシスンフンミョンチョングリ 경상북도 영주시 순흥면 청구리 )357
電話番号:054-638-6444
韓国の儒生文化修練院
한국선비문화수련원
韓国の儒生文化修練院は昔の儒生精神を継承し、先賢たちの学問探究と生活の様子などを再現し、伝統的儒教文化に基盤を与えた全人教育の始まりともいえます。順興の昔の都護府の官衙を象徴的モデルで再現しながら、九十九間の形で復元したので昔の官衙の名称と韓屋の情緒に合わせて古典の敬具、明匠を引用して命名しました。 ここは、伝統家屋17棟で構成されており、礼節教育館、文化体験施設6棟、伝統的な茶店や売店などサービス施設4棟で小白山の堂々たる精気を感じさせる古風な伝統韓屋が調和した儒生文化修練院で儒生の姿と伝統文化を体験することができます。
儒教文化の中心地である栄州を、儒教文化の正殿として造るために、全てのプログラムを儒生文化の世界化に焦点を合わせ、伝統文化教育はもちろん、多様な教育プログラムが行われています。
韓国儒生文化修練院は紹修書院、儒生村、浮石寺などの文化遺産とつなげながら滞在型観光地帯を造り、それを利用しながら、2008年10月にオープンして地域の伝統文化体験と儒生精神教育のとして観光客に人気を得ています。
住所:慶尚北道栄州市順興面靑邱里(キョンサンプクドヨンジュウシスンフンミョンチョングリ 경상북도 영주시 순흥면 청구리 )389
電話番号:054-631-9888
ムソム村(ムソムマウル 무섬마을)
慶尚北道栄州市慶文殊面水島里のムソム村。乃城川(ネソンチョン내성천)が大きくムルドリを成し、村を回っていくムソム村は、まるで「陸地の中の島」です。風水地理的に梅の枝に花が咲くという梅楽地として、水の上に蓮の花咲いたという蓮華福水とも言われる名所に住居を構えた村です。ムソムは「水の島」を意味します。
目の前の山に登ってムソムを見下ろせば、幾重にも連なる山並みが羽を広げて町を取り囲んでいるように見えます。風水家でなくても町の形が普通ではないということが一目で分かります。村の旧家がかもしだす古風な雰囲気と形を見ると、小さなハフェ村に似ています。 そのために人の行き来が少ない江村(カンチョン강촌)でも、町の中には気品が溢れています。
町の前の川辺の広い砂浜と、対岸の鬱蒼な森はまさに一枚の水墨画です。栄州市内で文殊(ムンス 문수)面に入ると、車の速度は著しく落ちるという話がうそではないことを知ることができます。舗装されていない道だからではなく、その風景が運転者の心をとらえてしまうからです。 この町で一番古い家屋である海愚堂古宅(都民の中の資料第92号)と晩竹斎(マンジュクジェ 만죽재)古宅(同93号)をはじめ、文化財資料に指定された古宅が軒を並べており、美しい昔の故郷の町を訪れたような感じを与えます。歳月も休みながら過ぎていくという所がまさにムソム町です。
住所:慶尚北道栄州市文殊面水島里(キョンサンプクドヨンジュウシムンスウミョンスドリ 경상북도 영주시 문수면 수도리 )
電話番号:054-634-0040
小白山豊基温泉リゾート
소백산 풍기온천 리조트
100%天然温水を使用する温泉は酸性化した皮膚を中和させて、肌の美容に卓越した効果を見ることで知られています。 また、世界一の薬効を誇る豊基高麗人参を利用した高麗人参サウナ室と地域特産物を利用した香りが漂うお湯はこの温泉で体験できるコースです。
このほかにもよく知られているように慢性関節炎、神経痛、金属中毒、動脈硬化症、糖尿病、慢性気管支炎に卓越した効果があります。
温泉場は2千人を同時に収容し、客室は小白山の秀麗な自然景観を眺望することができます。硫黄温泉水を利用できるテーマ毎の休息空間として多様な付属施設を備えています。特に中央高速道路の開通でアクセスが良くなり浮石寺、紹修書院、儒生村などが近く、経由していくコースとしても良く、小白山登山後に寄って疲れを解消するのにうってつけの総合温泉リゾートです。
住所:慶尚北道栄州市豊基邑昌楽里 (キョンサンプクドヨンジュウシプンギウプチョンラクリ 경상북도 영주시 풍기읍 창락리 )430
電話番号:054-604-1700
豊基高麗人参市場
풍기인삼시장
慶尚北道栄州の北部、豊基邑は韓国で最も有名な高麗人参の生産地です。三国志の時代でも西暦734年(新羅の聖徳王33年)に党現制に賀正使(ハジョンサ 하정사)を送って山蔘200斤を贈呈したと記録されているほどに、豊基高麗人参の名声は1,300年余り前にさかのぼります。
朝鮮宗祖の慎斎朱世鳳先生が野生の高麗人参だけに依存していたので、人為的に栽培、生産させてその需要を満たすために全国に高麗人参が自生する土壌と気候が似ている場所を探索しました。 その中、1541年、豊基郡守として赴任し、豊基の土壌、気候を調査した結果、高麗人参が多く自生をするだけでなく、高麗人参栽培地として最も適したところを発見することができ、全国で初めて野生の高麗人参種子を採取して高麗人参栽培を始めたところです。以後、朝鮮では豊基の高麗人参のみを利用したという記録もあます。 小白山の麓の有機物が豊富な土壌で育てられて他のどの地方の製品よりも品質がよく、内容組織が充実して高麗人参の香りが強く、有効サポニンの含量がとても高い点が豊基高麗人参の最も顕著な特徴です。新陳代謝の機能に卓越した効能があると東医宝鑑に記録されています。
毎年10月に豊基高麗人参祭りが開かれ、高麗人参掘り体験、高麗人参料理体験など多彩な行事が行われています。祭り期間の他にも、豊基駅前の高麗人参市場でいつでも生の高麗人参、白参などを購入することができます。
住所:慶尚北道栄州市豊基邑西部里( キョンサンプクドヨンジュウシプンギウプソブリ 경상북도 영주시 풍기읍 서부리) 145-3
電話番号:054-636-7948
-ストーリーがある旅行
小白山山麓道
소백산자락길
歩くことそれだけで意味あることだが、ストーリーのある小白山山麓道歩きは余暇を満たしてくれるとともに、歴史と文化も一緒に感じることができる多空間は、歩きながら私たちの精神と心を満たしてくれます。 小白山周囲には3つ道と4つの市と郡(栄州市、丹陽郡、寧越郡、奉化郡)が170kmの長さでつながっており12の山麓に構成されたストーリーがある文化生態探訪路です。
韓国で最も自然がよく保存されているところで小白山の森や渓谷を歩きながら周囲の歴史文化を一緒に満喫できる場所です
探訪路の概要
탐방로 개요
栄州市の長さ110km、12山麓の中の12山麓2山麓の一部、8山麓の一部、10山麓の一部、11、12山麓が現在開通しています。
1山麓(儒生道、九曲道、月畑道)15.6km 4時間20分
-三街駐車場→錦城大君神壇→竹渓九曲→草庵寺→ダルバッゴル→ 毘盧寺 →三街駐車場
2山麓(ハッキョギル、スンジギル、バンチョンギル)15.6km 4時間20分
-三街駐車場→錦渓湖→錦仙川→鄭鑑録村→豊基消防署→小白山豊基温泉リゾート→小白山脈
3山麓(竹嶺旧道)2.8km 40分
-小白山脈→竹嶺旧道→竹嶺頂上
1山麓(果樹園道、オルマンギル、スビョンギル)13.8km 3時間45分
-浮石寺→ソクドゥドゥル→、小白山芸術村→スプシル→サグレイ→ヤンジマウル→ナムジョル→モサン→ダンサンジ→ジャソク十字路
12山麓(ジャジェギギル、ソナンダンギル、ベジョムギル)8.0km 2時間25分
-ジャソク十字路→ジャゲジゲ→ドゥレゴル(長安寺)→ジョムマ→トクヒョン→ペジョム→ペジョム駐車場
竹嶺(ジュクリョン 죽령)旧道
죽령옛길
최초의 길 문화재
忠清道と慶尚道を分ける小白山脈の山筋にある竹嶺は1910年まではソウルで科挙の試験を受けに行く儒生たちや物産を流通する商人たちでごった返えしていた交通関門でした。しかし、交通手段の発達によって過去数十年間、人気がなく雑草ばかり生い茂っていました。 1995年2.5kmに達する昔の峠道を再び開通させ、歴史と伝説が残っているところにいろいろな案内板を設置してからは、散策を楽しむ人たちの足が絶えない名所に生まれ変わりました。
栄州から登る竹嶺旧道の最初の地点は喜方寺駅後方になります。 300mほど続いたアスファルトの道を通って行くと、天下大将軍と地下女将軍が立っているところにでます。ここから峠までは1時間30分ぐらいかかり、峠の頂上から丹陽郡龍夫院里までは、2時間さらに歩かなければなりません。
さらさら流れる渓谷の水がすぐ横にみながら上り下りする登山は自然の美しさと余裕を満喫できる楽しい旅です。名前も知らない山鳥とかわいらしシマリスがのんびりと遊びあるいています。高く伸びたモミの木群落である低木と蔓がぐるぐると巻き付いている鬱蒼な森が現れ、楽しさを一層与えてくれます。今は果樹園に変わったこの場所で、家族と一緒に赤く熟していくリンゴを見ながら季節の情緒にたっぷりとつかってください。
住所:慶尚北道栄州市豊基邑水鐵里 (キョンサンプクドヨンジュウシプンギウプスチョリ 경상북도 영주시 풍기읍 수철리)