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杜洞(トゥドン)教会
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杜洞(トゥドン)教会 :
田舎の村の隅にあるこのみすぼらしい教会を多くの人々が尋ねて来る理由を、私はよく知りませんでした。知っている人たちは必ず訪ねて行く所だと聞いたので来てみましたが、小さくて取るに足りない教会の建物が非常に興味深い歴史について物語っていました。
男女の区分が厳格だった時代にそれぞれ違う門から入って互いが見えないように別々に座り、1人の牧師を眺めながら説教を聞いて礼拝を捧げ、別の門から出てこれるように設計されました。
知識百科を見ると、下記のように出てきます。
この建物は「┐」字形の平面の韓国式家屋教会で、トタン屋根に一軒(ひとのき)寄棟造(よせむねづくり)の形態である。全羅北道(チョルラブクト:전라북도)金堤市(キムジェシ:김제시)金山面(クムサンミョン:금산면)にある金山教会(クムサンキョフェ:금산교회=全北文化財資料136)とともに、唯一の「┐」字形の教会建物である。
男女会衆席を直角に配置し、互いに見ることができないようにしてあり、2本の軸が会う中心に講壇を施設した。北西側の角の講壇は一間の規模であり、男女会衆席はそれぞれ3間の大きさで同じ規模である。前面から見る時、「┐」字形の平面のうち、南北軸をなしている方が男性席で東西軸は女性席である。それぞれの切り妻面に出入り口があり、男女区別の儒教的遺風により動線を分離した。内部の床は長板が敷かれている。
杜洞教会は1923年、宣教師ハリスンの先導により初めて設立され、1929年頃に現在の「┐」字形教会が新しく建てられたと伝えられている。「┐」字形教会は土着的な自律性を強調するネビウス布教政策により、プロテスタントと伝統が結合して現れた韓国の教会建築の独特な類型である。男女有別の儒教的伝統が崩れていく1920年代に「┐」字形教会の建設により男女区別の伝統を見せながら、男女全てに信仰を伝播しようとした。この建物は、当時の社会状況と建築的特性を表した初期プロテスタント教会建築物である。[ネイバー知識百科]杜洞教会旧本堂 (ドゥドンキョフェ クボンダン:두동교회 구본당 )(斗山百科(ドゥサンベックァ: 두산백과)
位置 : 全羅北道(チョルラブクト:전라북도)益山市(イクサンシ:익산시)聖堂面(ソンダンミョン:성당면)杜洞里(トゥドンリ:두동리)385-1