-
Start
-
チャイナタウン
-
新勝飯店(シンスンバンジョム)
-
屋台物
-
童話村(トンファマウル)
-
松月洞(ソンウォルトン)
-
月尾島(ウォルミド)
-
オラカイ
-
シンボククァン
-
セントラルパーク
-
秋のキッチン(アキノジュバン)
-
博物館
-
Finish
今回のインチョン旅行の最後の日程は韓国最初の公立博物館であるインチョン市立博物館と韓国戦争の時、インチョン上陸作戦で犠牲にされた韓国と友邦の若者の崇高の犠牲精神を称えるインチョン上陸作戦記念館に行ってみます。この2つは近くに一緒にあるので一気に回れます。ちなみに入場と駐車は無料です。
韓国に市立博物館は80個くらいあります。大抵の中小都市には市で設立した博物館がひとつくらいあるということでしょう。どの地域に行っても時間の余裕があると博物館にはよることにしています。みなさんもその地域の博物館にはよってみましょう。その地域の歴史を博物館くらい正確に面白く観覧できる場所は他にないと思います。
インチョン上陸作戦記念館から行きます。ここから博物館への道があるからここに駐車していくのが便利だと思います。記念館の前には韓国戦争に使っていたLVT(水陸両用装甲車)と北朝鮮軍が使っていた高射機関銃、戦闘機と戦車などの展示されています。今ここで見るには格好いいのですが、戦闘で直面した兵士達はどんなに怖い思いをしたのでしょうか。
広い敷地に雄壮で厳粛な建物が印象的です。お亡くなった英雄達の魂を称える記念館だから遊びやおしゃべりはご法度でしょう?静かに記念館のほうに行ってみます。
階段をあがると右に記念館があります。インチョン上陸作戦は1950年に勃発した韓国戦争が2ヶ月と10日でキョンナムのナクドンガン以南まで追い込まれて釜山に韓国の仮の首都を作ることになった戦勢を覆すために行われた作戦です。1950年の9月にアメリカのマッカーサーが敵の腰にあたいするインチョンに上陸して戦勢を一気にひっくり返しました。これで連合軍はアブロクガンまで押し上げて行きましたが、中国の参戦により後退し、休戦協定にはいることになります。
展示館にはインチョン上陸作戦の最初の構想から発展、そして進行過程を写真と遺物で詳細に説明しています。詳細にも目をとめて読みながらいくと悲しい映画を見ている感じになるかもしれません。
戦争の時に使われていた軍服と装備などを展示しています。全部実際使われたものです。
上陸作戦の時、アメリカ軍の装備です。全部参戦したアメリカ海兵隊の中隊長が寄贈したものです。手首につける羅針盤やキャノンのカメラも見えます。
こういうのを見ると自由はただでは得られないというのがよくわかります。これは韓国軍海兵隊3期と4期の隊員が署名した太極旗です。
これは日の丸ですね。在日学生の義勇軍が無事に帰ってこれるように祈っている署名です。在日も多く志願して入隊しましたけど、お隣さん達が無事を祈りながら署名してくれたようです。
自由守護の塔の下には消えない火がいつも燃えています。彼らが流した血をいつまでも忘れないで、分かれたこの血がひとつになるまで燃えるというのでしょうか。私の中にも火がついたようです。
ここはインチョン市立博物館です。1946年4月1日に開館したここは韓国の最初の公立博物館でもあります。いろんなことがあったインチョンの歴史を最初からみることができます。市民が参与して過去と疎通する交流の場としてもよく使われています。今はチャイナタウンの華僑が準備した特別展示もあります。
展示場にはいるとインチョンで出土された旧石器・新石器時代の遺物から展示していました。
私は近代展示館のほうに来ました。上の文書はカンファド条約(下)カンファド条約締結の時、朝鮮の問情管が協議過程と条約の草本を記録した文書です。参考に1876年に日本と締結したカンファド条約は日本にブサン、ウォンサン、そしてインチョンの港を開港するという条約ですが、日本人は朝鮮で治外法権を持て、朝鮮の測量と日本貨幣の通用、無関税などの権利ももつという内容です。
ここにも面白いのがありました。左上のはインチョン港の経由旅券です。大韓帝国の外務部で発行した旅券です。右上はドイツの貿易会社から1890年に針を輸入するという税関申告書です。今と変わらないですね。
電球が可愛いですね。この白熱灯は1920年に実際使った電球です。フィラメントが花と葉の模様になっているのもあり、透明な綿みたいな模様です。綺麗ですね。今もこう作ればいいんじゃないでしょうか?本当に綺麗!
開港期に使ってた遺物が面白いです。時計、タイプライター、やかん、カメラなどをつかってましたね。
先にドイツの会社で針を輸入した税関申告書がありましたね?それで輸入されたものが写真の真ん中にある針です。右下には商品広告カードがありますが、朝鮮人のイメージがこうだったのですね。なにかの動物から作ったクリームみたいです。
これはなんでしょうか。これは腕用ポンプというものです。消防車なのです。開港以降入ったもので、大韓帝国の宮廷で消防に使ったそうです。レバーを両側で動かして水を汲み上げる仕組みみたいです。
インチョンの当時の街を再現しておいたところで写真撮って次へ。
市立博物館には面白い展示物が多いです。左上は1937年にソンド臨海住宅分譲募集のポスターです。この時も家を建てる前に分譲広告をしてたみたいですね。右下は1919年に設立された完工最初の焼酎会社であるグムガン焼酎の広告です。広告の中に陰暦カレンダーを入れて捨てないで使うようにしているアイデアが見えますね。
これはなんでしょう。これはSBSのドラマ「星から来た男」に出たかんざしですよね?主人公が昔の恋人を記憶するために大切にしてきたかんざしです。ここが星男の博物館シーンの撮影場です。だからスタッフがこのかんざしを寄贈したらしいです。遺物じゃないから廊下のポートゾーンで展示しています。これで中国人の観光客がすごく増えたという話もあります。
ここ覚えていますか?星男で主人公が超能力で博物館のガラスを壊してチョン・ソンイが驚くシーン!ここで撮りました。
一方には12世紀の高麗時代から19世紀の朝鮮時代までの陶磁器やかんざし、銀粧刀などの工芸品、そして朝鮮の体表的な画家であるキム・ホンドのオクスンボンドやチュシャ キム・ゾンヒの書道などのそうそう目にできない芸術も展示していました。すべてを見せることはできませんが、芸術に興味ある方なら本当にいい時間になると思います。これがインチョン市から無料でサービスしているからすごいですね。
これからはチャイナタウンに住んでいる中国の華僑の特別展示館に入ってみます。それでいきなり肉断ち包丁や洋服店のハサミ、散髪屋の髭剃りなどが出てくるのでしょうか。韓国に華僑三刀という言葉があります。華僑は韓国で飲食屋、散髪屋、洋服屋をよくやっていたので、華僑が使っていた3つの刀で彼らの哀歓が説明できるという話です。
これはなんでしょうか?「じゃんけ」という中国人を卑下する言葉を耳にしたことは?じゃんけという言葉は上の写真の「じゃんくぇ(掌櫃)」の発音が間違ってできた言葉です。中国の商人がお金を入れる箱です。商店の支配人はいつもこれを持ち歩いたそうです。中国語の「じゃんくい」のような発音で今のじゃんけになったようです。これも日帝強占期に使っていた本物です。
一つの都市の歴史をもっと詳しく知るためにはその都市の博物館が最高です。風景やグルメもいいんですが地域に詳しくなるのも一興じゃないでしょうか。
位置:インチョングァンヨクシ ヨンスグ チョンリャンロ 160バンギル 26 (인천광역시 연수구 청량로 160번길 26)
電話:032-440-6750
開館時間:09時~16時
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合その次の日)、1月1日
私と一緒にたった一泊二日のインチョン旅行はどうでしたか?インチョンは多様な歴史的な場所が多いところでした。特に近代史でインチョンを除いては語れません。日本の武力にひざまずいて開港されながら日帝強占期の始まりの地にもなり、光復からは同族間の戦争を終息させたきっかけになったインチョン上陸作戦もここから始まりました。海があるから新鮮で美味しい海産物がやすく楽しめて、都市と自然が共存している景色も綺麗。私と一緒にまわった場所以上の場所もあると思いますが、いたらないこの旅行記がすこしでも役になったらと思います。それでは楽しい旅行を!