Holiday Journal

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12636 | 20176570

慶州 #8 - 芬皇寺、 明洞 チョルミョン( 辛だれ太麺)、 金庾信墓 (プンファンサ、ミョンドンチョルミョン、キム・ユシンミョ) - (한국여행)
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Last Modified : 2017/03/28

Travel regions : South Korea
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リゾートのバルコニーから山の向こうに見える黄色い太陽が昨日の夜景と似た感じがするぐらいに慶州の夜景は感動的でした。



短い時間ですが、リゾートで安らかに睡眠をとった後なので早く外に出てもっと色々なものを見て感じたかったが、今日の日程は昨日に比べて短いのでゆっくりと宿舎で2日目の日程をはじめました。



芬皇寺 분황사

昔に、中国唐の皇帝が新羅 善徳女王に大きなボタンの花の絵を送りましたが、絵に蜂と蝶がなくて自分が香りがないボタンの花のような存在だと皮肉ったと思った 善徳女王は自分が香りがある美しい花のようとして芬皇寺という寺を建てたと伝われます。



現在、慶州駅からあまり遠くない市内の反対側に位置した芬皇寺の周辺は木で囲まれており、思ったより観光客が少なかったです。

新羅歴史において様々な役割の一節を修行してきており、その後にも今まで 命脈保った 由緒ある寺刹であるためもあるが、そこに芬皇寺がもっと有名になった理由は新羅最初の石塔である芬皇寺石塔(国宝第30号)があるからです。



入口に入ると、まず大きい石塔が目に入ります。それが芬皇寺石塔。基壇の形や塔の模様からみて7~9層石塔だと推定されるし、小さな石をレンガの形に作り、積み上げた模塼石塔です。



こっそり開かれた龕室の内側には遠くに仏像がまつられているのが見えます。塔の角ごとに獅子像が、4面には仁王像(天邪鬼)が2つずつ配置されており、 龕室の中で舍利函や玉などの遺物が発見されました。

この芬皇寺 模塼石塔は木塔と石塔の中間形態で、新羅の石塔の発達史を研究するになくてはならないとても重要な文化財といいます。



模塼石塔の後方にはここで滞在し、華巖經疏などを執筆した元曉大師の徳を称えて、
高麗時代に製作された和諍國師碑があった場所だが、惜しくも碑石はなく 碑趺だけが残っています。



和諍國師碑趺の左側には三国遺事で護国龍が住んでいるという説話が宿っている新羅時代の井戸である石井(ソクチョン)があります。

護國三龍變漁井(サンリョンビョンヨチョン)とも呼ばれるこの石井は外側は8角内側には円型、井戸の内側には格子型に作られていて、それぞれが八正道と圓融の真理、四聖諦を象徴し、惜しくもこの井戸の中では他の遺物ではなく朝鮮時代にの抑佛政策によって首が折れた石仏が多く発見されたとします。



ちょうど寺刹の片隅に小さくて古びた仏像が顔が多く破損されたまま静かに席を守っています。

また、芬皇寺にはこれ以外にも率居(ソルゴ、新羅時代の画家)が描いた‘觀音菩薩圖’と 鄕歌‘禱千手大悲歌’の背景話の壁画があったというが、 現在は伝えないです。


もう少し後ろには、朝鮮時代の仏像の芬皇寺藥師如來立像が祀られた普光殿(ボグァンジョン)が見えるし、観覧に来た仏教信者と見られる観光客が普光殿の中に入ってお辞儀をしています。
そして後ろには信者方々が祭具に見える真鍮の器を話をしながら磨いていました。



芬皇寺では体験までではないが、直接に梵鐘をつくことができます。

代わりに破損の危険があってしゃにむにつけないし、鐘と撥の間を30㎝以内の距離で1回だけ軽くつけばいいです。

軽くついたにも “ゴン~”とする雄大な音が 境内 響き渡って 心が落ち着きます。 宗教はとにかくこのような音は本当にいいと思います。



梵鐘の隣には色がはげたまま面白い表情を持った魚の形の丸太があります。

芬皇寺の木魚で、本来は太鼓のように掛けて腹のへこまれた溝に木を入れて音を出す寺刹のものですが、残念ながらも自分の役割を果たせないまま片隅で飛び出した目で人々を見ています。


Canon DIGITAL IXUS 65 | f/4.0 | 2014:04:27 12:40:26 | Flash did not fire, auto mode | 12.12mm


簡単に芬皇寺の観覧を終えて境内を抜けると、前方に統一新羅時代の‘九黃洞 幢竿支柱’がアブラナの間ですっくと立っています。



このアブラナの向こうに見える広い平地は今まで 普門 団地などで形象化した 皇龍寺址(フ ァンニョンサジ)9層木塔の主人、 皇龍寺址です。

小さな 芬皇寺多くの観光客が来ますが、新羅最高の 寺刹であった皇龍寺は今、礎石以外には何の跡形も残っていないので、アブラナにうずめられて蜂だけ忙しく動いていました。


Map

住所: 慶尚北道 慶州市 九黃洞 313(キョンサンブくド・キョンジュシ・クファンドン313 경상북도 경주시 구황동 313)
電話番号:054-742-9922
運営時間:08:00 ~ 18:00
ホームページ:http://www.bunhwangsa.org/



明洞 (ミョンドン)チョルミョン( 辛だれ太麺) 명동쫄면


朝ごはんを抜いたので市内で朝昼兼帯の食事をするために慶州でおいしい食堂の中で一つのミョンドン・チョルミョンに立ち寄りました。



30年以上営業してきたチョルミョンの専門店で番組にも出たりしていつも客が列をなしているおいしい店です。



今日も相変わらず店内はもちろん路地まで占領して客が列に並んでいます。



販売している食べ物の種類はわずか4つ。ビビンチョルミョン、揚げチョルミョン(ユブチョルミョン)、おでんチョルミョン、冷チョルミョン(ネンチョルミョン)。やはり真のおいしい店は食べ物の種類が多様ではないです。




20分あまりを列に並んで何を食べるか悩んだ末、テーブルでもない狭い食卓に座りました。結局選択したメニューはおでんチョルミョンとビビンチョルミョン。


おでんチョルミョンはもちもちしたチョルミョンうどんスープに入れておでんと一緒にうどんのように作ったものですが、チョルミョンにスープがあるのがちょっと不思議に思われましたが、すぐもちもちなチョルミョンの味に適応し腹を満たしはじめました。



寒い冬の夜に食べるとなんだか特別にうまい味がするようです。細かく刻んだねぎとシュンギク、おでん、そしてチョルミョンを一気に取って口に入れると、全ての味がするような気分になります。


そして、次はビビンチョルミョン。どうみれば一般的なチョルミョンと似ています。代わりにきゅうりとキャベツそしてシュンギクがたっぷり入っています。麺より野菜がもっと多い形~


薬味をちゃんと混ぜたあとに一口いれると口の中にシュンギクの香りが広がります。辛さも適当だし、薬味は少し甘い味がする一般的なチョルミョンと似た味です。

たくあん1つと一緒に頑張ってはしを使ったあとにうどんスープを一口飲んだらもう皿に残ったチョルミョンはありません。20分待って10分で食事終わり。

次にまた行ったら中華料理店ジャージャー麺、ちゃんぽんのように、また何十分待っている間ビビンを食べるかうどんを食べるか再びひすごく悩みそうです。

そして、客がそんなに多いのによく笑って次にもまた来いと挨拶を忘れない主人のおばさんを見ていると、味も立派ですが親切がもっと素敵な 慶州のおいしい店でした。

ただ、両メニュー全部珍味としてはいいメニューに違いないが、韓国人はやはりご飯。これくらいはおやつとしてお進めします。(笑)


Map

住所:慶尚北道 慶州市路東洞 80-8(キョンサンブくド・キョンジュシ・ノドンドン80-8 경상북도 경주시 노동동 80-8)

電話番号:054-743-5310

運営時間:08:00 ~ 21:00



金庾信将軍墓 김유신장군묘

今回に行ってみる遺跡地は三国統一の主役の新羅、金庾信将軍の墓です。

慶州ターミナルから兄山江の向こうの山の中腹にある金庾信将軍の墓は、公共交通に移動するには少し曖昧な位置にあり、タクシーもよく通ってない所にあるので近い方にあるのに行きにくい場所のひとつです。


金庾信将軍の墓の一帯は大きく二つの部分に分けられます。左側は金庾信将軍の墓、右側は 金庾信将軍の位牌が祀られている崇武殿(スンムジョン)です。

崇武殿の独特な点は扁額をキム・デジュン元大統領が書いたという点ですが、今回は交通便の問題で崇武殿を除いて墓域一帯だけ見回しました。


墓域一帯に登ると、先に迎えてくれるのが‘三國統一誌安置所’という標石が刻まれている碑閣です。碑閣の内側には‘新羅太大角干’と篆書體の字に金庾信将軍の一代記を記録した神道碑が立っています。

金庾信は新羅に 滅亡した 金官伽倻の王族出身で 父は 金舒玄(キム・ソヒョン)、 母は真興王の甥、 萬明公主の間で生まれ花郞の首長である風月主になったし、武烈王・金春秋(キム・チュンチュ)の妹と結婚し、三国を統一するのに大きな役割をした将軍です。


碑石を目を通して金庾信将軍の墓の入り口であるフンムムンを通ると、山鳥の鳴き声も聞こえるし木が森々とした道が現れます。



あまり傾斜が急ではないこの道に沿って100m登ると、金庾信将軍の墓に出会うことができます。



あまり歩いてないのにすぐ広い空間が現れ、高い階段の上によく整理された金庾信将軍の墓が席を守っています。

実は、ここの階段もまた修学旅行のフォトゾーンの中で一つで昔に写真を取った記憶が次々と浮かびます。



金庾信墓の 土墳の近くに登ると左側に碑石が一つずつ立ていますが、左側の碑石には‘新羅太大角干金庾信墓’という字が刻まれています。

角干とは新羅の17官等の最高の官職であり、以後、百濟を滅ぼした後は任意に作ったより高い官職‘大角干’、 高句麗を滅ぼした後はそれより高い官職追加して‘ 太 大角干’と命名されたとします。


石碑は日帝時代に立てられた石碑で‘開國公純忠壯烈興武王陵’と刻まれています。この碑石には不思議な点が二つあります。

どうして 金庾信将軍の墓ではなく興武大王陵とするのでしょうか。最初の質問に対する答えは金庾信は死後に興徳王の時に彼の優れた功績を称ええて、王に 追尊して‘興武大王’という称号を与えられたからです。

写真を見ると、一番最後の文字がちょっとおかしいです。この碑石に刻まれた文字は碑石が渇いているときは‘陵’だけよく見えるが、碑石が水にぬれたら‘墓’の字がもっと鮮明になります。

金庾信が王であることを認めない人たちの手管だと 主張する人々もいますが、誰がそうしたか明らかになったことはありません。ただ、 金庾信墓の右側の碑石の下にはいつも観光客が振りまいた水でぬれている事実だけが明確。


金庾信墓は珍しくも墓の周りを石で囲み、12方位を区分して12支神の形の支石が囲んでいます。

これらの特徴はすべて左側に首を回し平服の姿に武器を持っていて、他に石を囲んだ新羅時代どんな王陵よりも華麗で、ほぼ同じ時代の 王陵である 陳平王陵、善徳女王陵、武烈王陵に比べてもむしろより派手に飾られています。

それほど王に比べても負けないくらいに立派な 功績を残した将軍だからこそこのように恵まれたのではないでしょうか。



こうやって 金庾信将軍の墓の周辺を見てから初めて登った道を下りるときに、

私たちの前にママの腰を取ってパパの肩に乗った子供たちがとても優しい姿で花道に沿って坂を下りていました。

あ。。そして参考に慶州市民は普門 団地 よりこの金庾信将軍の墓の一帯に桜がもっと立派だと評価しているので、桜シーズンに来たら必ず訪問してみてください。

Map

住所:慶尚北道 慶州市 忠孝洞 山 7-10( キョンサンブくド・キョンジュシ・チュンヒョドン・サン7-10 경상북도 경주시 충효동 산7-10)

電話番号:054-749-6713

運営時間:09:00 ~ 22:00





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